24歳でがんになった。~Return Match~

24歳にして突然の上咽頭癌ステージ4の宣告。その時私は〝がん患者〟になった。

ありがとうニンジャ

先週1台のバイクを手放した、その名はニンジャ。

 

このブログはあくまで闘病ブログであり、バイクの事をどこまで記そうか迷ったけれど、このバイクは自分にとって体の一部の様な存在だったので記録として残したいと思った。

興味のない人にはつまらない記事になるかもしれませんが、よろしければお付き合いください。

 

2020年8月21日の晩、経過観察のため千葉の病院での診察を終え、ホテルにいた私はバイク仲間から私の所有していたバイク、ニンジャの引き取り先が見つかったので明日引き取りに来ると連絡をもらった。

あのバイク事故の後、バイクを手放すという決心をした為に信頼できる人に譲りたいと相談していたのだ。

 

翌日、ニンジャを見送りたいと急ぎ足で関東から関西へ戻る。

関東関西への移動は新幹線を使えば2時間半ほどだが、実際は地方から地方への移動になるのでさらに時間がかかった。

結局、バイク仲間のガレージに着いたのは、陽が暮れ始めた頃だった。

 

何人かのバイク仲間が集まってくれていて、久々の再開を喜んだ。

会話がひと段落した頃、ガレージのオーナーは何台かあるバイクを寄せてニンジャを出してきてくれた。

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久しぶりの再開。

パーツのひとつひとつ、傷のひとつひとつに思い出がある。

 

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 このBEETのマフラーは、二十歳のころクリスマス直前に振られて腹いせに買ったもの。

 

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このバックステップもBEETで、学生にとっては高いものだったが、無理して買っただけあって黒の車体にきらりと光る自慢のパーツだった。

 

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アナログのメーター、これも気に入っていた。

スピードを増すごとにグングンと針が動くけれど、あるところで頭打ちになる。

今はデジタルメーターが普通だし、もはや250のバイク相手でもぶん回す度胸もない。

あの感覚はもう味わえないと思うと切なくなる。

 

そう言えば知らん間にこのバイクも10年前のバイクになっていたんだな。

通りで一年が早いわけだ。

 

話してるうちに馴染みのバイク屋さんが引き取りに来てくれて、慣れた手つきでトラックにニンジャを載せた。

私は「最後にもう一度」と、ニンジャを撫でた。

仲間の一人が「自分まで泣きそうになるわ」と言った。

 

ライダーたちは皆、こういう経験をしてきたんだろうな。

それを言葉にするのは難しい、まるで自分の体の一部を無くしてしまうような感覚だ。

ライダーにしかわからないと思う。

 

そこまで大切だというのならば、なぜそのバイクを手放そうと思ったのか?

 

人によってバイクを手放す理由は事なるだろうが、

私の場合は暫くはバイクに乗らない、乗れないと思ったからだ。

今回のバイク事故だけならば良かったが、私の場合はがん治療を終えてすぐの事故だ。

家族にも職場の人にもたくさん迷惑をかけたし、心配をかけてしまった。

 

私の周りの人と言えば「おいおい次は事故って、そんなことあるか」と笑ってくれるような人ばかりだが、その優しさに甘えてしまっては大人とは言えない。

 

一生乗らないという約束はとても出来ないが、次にバイクに乗るのならば足が直るのはもちろんのこと、仕事も生活も落ち着いた頃にパーフェクトな状態で復帰したいと思う。

 

一旦とは言えバイクを降りると決心した時、乗らないバイクを所有し続けるというのは難しいと思った。

乗らないバイクを放置するのか維持するのかは全く話が違う。

バイクは機械だから、動かさないでいるとあっという間にダメになってしまう。

私は大好きなバイクだったからこそ、駐輪場の片隅で錆びていくのを眺めているくらいならば、タダでもいいからまた乗ってくれる人のところへ行って欲しいと思った。

 

手術の後に手放す決心をしたが、それを仲間にそれを伝えるのは気が重かった。

そもそも我々はバイクというもので繋がった仲間であるし、私が戻ってきてた時にまた一緒に走れるのを心待ちにしてくれていたからだ。

仲間たちは私が帰ってきた時に、すぐにバイクに乗れるように環境を整えてくれていた。

がん治療中は私も再びツーリングに出れるのをモチベーションとする事で乗り越えられたし、事実私は闘病中にバイクを手入れていた。

だから、今更バイクに乗らないと伝えるのは気が重かった。

 

しかし、それは私の憂慮に過ぎなかった。

あの日、膝の手術の後に震える声で連絡をした私に、ライダーの先輩はこう言ってくれた。

「野球好きでも、草野球をしているほど好きな人ってごくわずかでしょう。バイクが好きでも、必ずしもライダーである必要はないと思いますよ。」

ライダーでなくなれば、バイクを保有しなければ、最早バイク好きだとは名乗れないと思っていた私にとっては、衝撃的な言葉だった。

 

「あいつはバイクを降りたんだ‼︎」

10代の頃、仲間たちがひとりふたりとバイクを降りていくのをそう思って見送った。

今になって自分の幼さに恥ずかしくなる。

 

ある雑誌で、バイクに乗れない体になったのに、新しいバイクを購入しカスタムしている人のこと知った。その時は、乗れもしなくなったのにバイクをいじって何が面白いのだろうかと思ったが、今になるとわかる。

バイクの楽しみ方というのはただ乗るだけではない。

 

その晩、乗る以外のバイクの楽しみ方は何かないかと考えていた。

ふとSNSを見ていると自分の撮影した写真を使ってくれているバイク仲間がいることに気づいた。

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そうか、自分は写真も趣味だから、バイクを撮ってみるのも面白いかもと思った。

きちんと写真を撮ろうと思うとそれなりの機材になるし、結局バイクで持ち運ぶのは難しかったから丁度良かったのかもしれない。

バイクを休むという選択が、自分のバイクライフにとって何かポジティブな物になるといいな。

 

怪我してしまったけれど、やっぱりバイクが好きだ。

私がバイクに乗りたいと行った時、身内をバイク事故で亡くしていた父親は否定的だった。しかし母親はやりたいことをやって死ぬ方がいいと背中を押してくてた。

身内の言葉ながら、あの言葉を今も大切にしている。

僕はバイクに関しては大怪我もしたし、生活を疎かにしたせいで大きな病気も経験した。でも自分の選択に、その結果の人生に後悔は何一つない。

 

バイクに乗ること自体が面白かったと言いたいのではない、

人生で一番刺激的な時間に、ニンジャというバイクがあったことが幸せだったのだ。

 

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納車の日、中古だけどピカピカだった。

一人のバイク乗りになれたことが誇らしかった。

 

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ありがとうニンジャ。

これからもずーっとバイクと付き合って行きたいな。 

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 「バイクが好きだ。」

(ろくな乗り方をしてなかった10代の頃のメットなんで、センスは笑ってください。)

 

ロードムービー

ロードムービー

  • provided courtesy of iTunes

 バイクの話をしているとこの曲が聴きたくなるな。

肌寒い夜に聴くと、10代の頃を思い出す。

 

 

そしたら今日はこの辺で。

連休中は記事を書き進められるといいな、

更新できるように頑張ります。

 

 

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