24歳でがんになった。~Return Match~

24歳にして突然の上咽頭癌ステージ4の宣告。その時私は〝がん患者〟になった。

10年ぶりのサバゲー

バイク仲間に誘ってもらい

10年ぶりにサバゲーに行ってきた。

 

ミリタリーオタクの間では源文先生と呼ばれる方の

オメガ7の隊員風に仕上げたつもり。

 

田舎育ちで、

小学生の頃は駄菓子屋で買ったエアガンや爆竹で遊び、

日曜洋画劇場でアクション映画や戦争映画を観てその世界に憧れて、

そのまま立派なミリタリーオタクになった。

 

その後就職を機にミリタリーコレクションを手放し“オタク”の世界とは距離を置いていたが、

癌になった時に「やっぱり欲しい!」と手に入れたエアガンを機にちまちまとコレクションを増やしていった。

合法のトイガンやレプリカなどです。

自分はいわゆる“コレクター”であって、サバゲーが趣味ではない。

しかしせっかくのコレクションはたまに披露したくなると言うのが人間の性、歳下の若い子達に背中を押してもらい久々のサバゲー参戦であった。

 

⚪︎

舞台は南紀白浜のイコラパークスさん。

初めてのフィールドであったが、

運営さんのスムーズな進行のもと、安全に楽しめることができた。

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リューアル後2年の記念イベントだったようで、たくさん人も集まり、豪華景品のあたるじゃんけん大会など大盛り上がりであった。

 

たくさん人が集まると、

趣味のわかってくれる人もいてとても嬉しかった!

 

また遊びに行きたいな。

 

4月は4年目の経過観察にまた関東に行く、

このまま平穏な日々が続くといいな。

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

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3年半目の経過観察と母とのツーリング

3年半目の経過観察にいってきた。

 

大きな問題はないが、

首に放射線を当てた関係から、

甲状腺の機能が落ちているようで、

今後様子を見てもしかしたら飲み薬を服薬していく事になるかも。

 

いつも診断の結果は電話診察で聞くことになっている。1週間ほどの待ち時間、

主治医から「問題無いですよ」の一言を聞くまでの間、人生や生き死にについて考える。

 

もし〝また〟死ぬと言われた

自分は何を後悔するだろう?

 

ありがたい事に自分が死ぬ間際にならなくても

先人が残してくれた思いや考えが、本やYouTubeで簡単に知れる。

やりたい事をリストアップし、それをまとめた。

 

加えて、

遺書では無いが、自分の持っている財産や保険、連絡して欲しい所など、家族や友人などが必要になるであろう情報は取りまとめ共有した。

この辺は高齢者向けの終活のサイドなどを参考にした。

 

〝前向きに〟死を意識する、

終わりが来る事を理解しつつ、全力で〝生きる〟と言うことはとても良い事だなと感じた。

 

一つ困難な試験にも合格し、

今も資格取得の為に勉強する事に取り組んでいる。

 

〝家族との時間を大切にしなかったこと〟

と言うのは、多くの人が亡くなる直前に後悔する事らしい。

 

思い立ったが吉日、

5年ぶりに遠方のおばあちゃんの家に行く事にした。

「ばぁちゃん、明日休みだから会いに行くよ」

 

祖母は山の小さな村に住んでいて、

地元の人で無ければ車で行くのは難しいようなところに住んでいる。

 

今までバイクで何度か行った事があるが、

今自分の所有している車で行くのは些か難しいと感じた。

(ちなみにこのおばあちゃんちの帰り道で一度バイク事故を起こして入院しているトラウマあり)

 

「そうだ!レンタルバイクがあるじゃないか」

「あれ?そういえば明日は母も仕事が休み?」

 

急遽、母に電話をかけて、タンデムツーリングに誘ってみた。

「きゃー!行く行く!嬉しい!」

お母さんはてっきり、バイクの後ろくらい乗った事があるものだと思っていたが、

人生で初の事らしい。

ものすごいテンションでのってきてくれた。

 

長い間バイクに乗ってきたが、

18歳で初めてバイク屋さんにまでついて来てもらった母親を乗せた事が無かったとは迂闊であった。

 

そこから、急遽レンタルバイクで二人乗りしやすいバイクで、空きのある車両を探した。

 

結局、Z900RSという

日本で1番売れている大型バイクを予約した。

 

最近の相場では200万円近い事もあり、

一バイク乗りとしては〝憧れ〟ではあったが、

まさか乗ってみることになるのは思わなかった。

 

当日、バイク屋さんに母親と2人でバイクを借りに行った。

 

久々に見る大型バイク、

普段小さいバイクしか乗っていない自分からするとこんな大きなバイクに乗れるんかいな!?

と思ったが、

母親を乗せる前に1人で軽く試走してみての感想は

なんと素直で軽快なバイク!

これなら2人で走れるなと感じた。

「お母さん、いけるよコレ」

 

母親に後ろに乗るコツを伝えて、2人でおばあちゃんちへ向かった。

 

バイパスを流し、山道を走り、

気温もちょうど良く心地よかった。山道はちょうど色づき始め、景色も良かった。

お母さんは「あんたが転んでもまた乗りたい理由がわかったよ」と言っていた。

 

久々のおばあちゃん、

よう来てくれたと出迎えてくれた。

 

おばあちゃんは今年で86歳になる。

田舎の人だけあってまだまだ元気だ。

昼飯だって

僕より食べる。

 

昼飯をもてなしてもらい、

ゆっくりと3人で話した。

 

2時間ほど話した後、

おばあちゃんと母が話してる間に

1人で山道をバイクで走った。

 

日本で1番売れている大型バイク、

その理由は走ればすぐにわかった。

自分のイメージしていたビッグネイキッドというかは、

ミドルクラスのネイキッドバイクのような扱いやすさだった。

少しラフにアクセルを開けてもコンピュータがそれを制御してくれる。

ブレーキも強力で走りも申し分ない。

 

お墓参りに寄ったりしながら、

1時間ほど1人で走って、

またおばあちゃんの家に帰る。

 

「おばあちゃんも乗ってみない?」

「でもそんなん乗った事ないでなぁ」

と消極的だ。

 

「僕がヘルメット2個持ってくることはもう無いから、今日乗らんかったら死ぬまで乗ることないで!」

「ほな、乗ってみよか!」

このとびきりの良さが大切だ。

 

「おばあちゃんどうな?バイクの後ろは」

「初めて乗ったなぁ」

「86歳になってもまだやった事がないもんなんやな、人生って面白いな」

「それにしても速いなぁもう少しゆっくり走らんか」

「30km/hしか出てないんやから、ばぁちゃんのカブと変わらんて…」

「そうかぁ、でも気持ちがええなぁ」

 

2人で近くのお地蔵様にお参りして、

とことこと散歩した。

おばあちゃんは息子さん(僕の父の弟さん)をバイクの事故で亡くしている。

バイクに関してはネガティブな印象が大きいと思うが、僕の後ろに乗ってみて、何を思ったんだろうか?

 

あばあちゃんちを後にしして、

無事計画的に街に帰ってきた。

 

僕はタンデムでツールングを久々にしたけれど、

二人乗れる使用のバイクであればまたこれも面白いなと感じた。

また、自分の用途であれば大型バイクは持て余すし、今の所所有したいとは思わないがレンタルバイクをうまく活用してツーリングを楽しむのまた良いなと感じた。

 

コーヒーを飲みながら

お母さんは「気持ちいいが、私にはよう乗らんわ」と言っていたけれど、

タンデムライダーは助手席の人間と違って、同じライダーなんだよ。なんて話をした。

 

バイクを通して

こんなにも近くの人に喜んでもらえるのは嬉しかったし、

これからもバイクに乗れる体でぼちぼち長生きして楽しんでいきたいなと感じた。

お母さんと借りてきたZ900RS

 

それでは今日はこの辺で。

寒くなってきたので皆さんも体調にはお気をつけください。

 

PS

カワサキプラザでみかけたこちらのジャケットを探しています。和歌山店にはLしかありませんでしたが、一目惚れしました。

カドヤとカワサキのコラボのフライトライダースです。

カワサキプラザさんでこれのMサイズ見かけましたらぜひコメントください!


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3年目の経過観察と近況報告

3年目の経過観察に行ってきた。

特に問題はなく、経過よくすぎている。

頸に放射線治療をしているので、甲状腺の機能が少し落ちているらしいが、正常範囲内らしい。

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関東に経過観察にいったタイミングで

東京で上咽頭がん仲間のばっしーくんに会った。

初めてお会いしたけど、闘病中からずっとSNSでやり取りしていたので会話が弾んだ。

 

男2人で秋葉原巡りとカフェでお話しした。

優しい兄貴って感じで爽やかだったよ。

秋葉原はディープで面白かったな〜

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同じ仲間同士分かり合える事があって嬉しい。

東京にも友達ができて嬉しいな。

 

経過観察に合わせてあちこちで飲み歩いたよ。

楽しかった。

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車両を入れ替えて、

新しいバイクが仲間入り。

自分とほぼ同い年のバイク。

前のオーナーさんも大切にされていたようで年式を感じさせないくらい綺麗!

 

最近しょっちゅう乗ってるよ。

手を加えるところもあって面白い。

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数年ぶりに恋人が出来たよ。

大切にしたい関係だ。

たくさん支えられているよ。

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最近は何も進んでいる感じがしなくてなんとなく心配になる。10年後、20年後のイメージって、いまだにつかないな。

人生って難しい。

 

それでは今日はこの辺で。

 

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20代の片付け〜憧れのサーキット〜

前回のブログに記していた3万円の原付で

憧れのサーキットに行ってきた。

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このマシンを発掘してきてくれた

原付師匠につきっきりで教えていただいた。

 

ほとんどの方は一度は原チャリに乗ったことがあると思うが〝きちんと乗る〟となるとこれが意外に難しい。

 

当然60km/hそこそこしか出ないわけであるが、

それでも私はいっぱいいっぱいだった。

これ以上上のクラスやMT車で走っている方達は本当に尊敬する…

 

ペースが上がってきた頃

一度転倒したが、そもそもそんなに速度も出ていないので乗り手、マシン共に問題はなかった。

 

怪我のリスクやマシンの安さなどを考えても

原チャリレースは草野球のような感じで面白いなと感じた。

師匠は原チャリレース仲間を募集しているので、

和歌山で原チャリレースに興味がある方はぜひご一報を。

 

また一つやりたかった事が叶った。

あとは北海道にいく、富士山に登るくらいかな。

少しずつやりたい事をやっていけるといいな。

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

 

 

 

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20代の片付け〜原チャリ小僧〜

体調を崩して一日休みをいただいて寝込んでいた。

体調が悪くなると、もしやまた癌になるのではないかといつもハラハラしてしまう。

たまにそんな時間が必要なのだろうとは思うけどね。

 

そんなこともあってブログを書いてみようという気持ちになった。

 

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また失恋した。

男磨きしたいので眉アートをやろうと思う。

 

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原付を買った。

3万円だった。

 

10代の頃、憧れの先輩たちが乗ってたハネ付のスクーター。

バイク仲間が格安の車両を見つけてきてくれて、

悩むほどの値段でもなかったのでつい買ってしまった。言えばオトナのガチャガチャかな。

 

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前輪タイヤを先輩に組んで見せてもらって、

後輪は1人で組んでみた。

原付スクーターは部品が安く、整備に関しても手を出しやすくて学ぶことが多い。

 

始めて1人でタイヤを組んでみて、

一人前のバイク乗りに近づけた気がした。

 

スクーターなので日頃の足にもってこいだ。

ちょいちょいとバイクに乗る時間が増えて嬉しい。

今更だけど、やりたかったこと少しずつやっていけるといいな。

 

寒い間は家に引き篭もりがちだったけど、

それを活かして新しい資格も取れた。

それと、今はアニメにハマっていてNARUTOを一気見した。

 

これから暖かい時期が近づいてきて、

外に行く機会も増えるだろう。

これからの時期が楽しみだ。

 

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20代の片付け〜不純異性交遊〜

秋の夜長、アラサーのオレはミナミのクラブで舞っていた。

興奮冷めやまぬ深夜4時、私はネカフェでシャワーを浴びてこの記事を書いている。

 

20代の前半、

長らく付き合った恋人と別れた後

私はずっと恋人を作らなかった。作れなかった。

 

「いつかあの人とやり直したい」

そう思って勉強し転職し、仕事終わりにはジムで汗を流した。ジムが終われば資格試験のために夜中まで勉強した。

元カノが私を置いて出た都会にも出れるようになり少しずつ〝理想の自分〟に近づいていった。

そうこうしてる間に時は流れ、24歳になった。

 

その間、一切何もなかったのかといえばそうではない。

私を好いてくれる奇妙な女性たちもいて、

「僕は付き合うつもりはない」と言っても

それでも近くにいてくれた。

きちんと付き合えなかったのは私の片隅にはずっと元カノがいたからだ。

 

もう元カノに会っても良いかもしれない、

今の自分は胸を張って会えるだろう。

でもまだもう少し、もう少し、そう思ってる間に私はがんになった。

 

そのことがきっかけでやっと元カノに会った。

「会いたい」

その一言を言うために数年がすぎていた。

 

数年ぶりに会う彼女は変わらず良い人であったが、

素直な感想は「普通」であった。

色々な人と会う中で自分の女性へのハードルは高くなり、あれほど想っていた人さえ特別で無くなっていた。

 

寝る暇を惜しみ、勉学に励みトレーニングし、

その結果残されたのはステージ4の体と

誰とも付き合わない男であった。

 

癌治療の半年間、

頭は丸まり肌は荒れ、お腹にはPEGがささって

それは痛々しい体になった。

 

客観的に見て

「良い男ではない」自分になったのが辛かった。

 

治療の後、一年ほどで髪は伸び肌の調子もよくなり普通の体に戻った。

治療中に覚えた化粧は〝シャバ〟に出た後も役にたった。

そうして僕は知り合った女性たちとも遊べるようになった。

 

自分の失った時間を取り戻したくて、

たくさん遊んだ。

 

私を好いてくれる人もいたが、

私は自分が不毛に過ごした時間を埋めようと

変わらず不埒な事を続けた。

 

そんな中で

遊んでいる女性たちからクラブや相席屋の存在を知った。

聞けば、世間の人たちは20代前半のうちにそういう遊びを経験するらしい。

 

「行ったことが無いんだよね」

そりゃ、20代前半のうちは1人の人を愛して、

そういう遊びは「不真面目」であることを理解し、「真面目」に生きてきたから。

 

自分の真面目に生きてきた時間の中で、

「不真面目」な事をしてきた人が羨ましいと思った。

 

そんな自分でも、

好きな人が出来てもうやめようと思った。

 

もう十分に遊んだし、満足していた。

ただやり残したことといえば、

相席屋とクラブであった。

 

私の唯一無二の親友であるしろくんをすがって連絡した。

 

彼は長い間都会に住んでいて、

そういう都会の遊びにも詳しい。

(彼自身は真面目な男であり、付き合いの中で学んだだけであるので誤解なきよう)

 

「そんな楽しい所ちゃうで」

でも、彼は何も言わずとも私の心を汲み取ってくれたようで二つ返事で「行こか」と言ってくれた。

 

その日、

10/31のハロウィンの心斎橋に私たちはいた。

「見るからに治安悪いよ〜大丈夫?」

 

若者たちの熱気に推される私を置いて彼は何の気なしに進んでいく。

「今日はガキがいっぱいだな‼︎」

今日ほどこの男が頼もしく見えたことはなかった。

 

 

「ここが相席屋

なるほど。これが相席屋

 

彼がさっとチェックインを済ませて、

私達は席に着いた。

 

程なくして若い女性のグループが招かれて

私たちは場の盛り上がりもあって3時間ほど会話した。

「お会計3万円です。」

はい、喋りすぎ。学びました。

 

彼女たちと一緒に相席屋を一緒に出た。

 

そのうちの1人の女性が

私を気に入ってくれてこれはもうそういう流れであったのだが…

 

「今日はごめん!」

私はこの後クラブに行かねばならぬ。

もう一つの目標を達さぬままこの街をさることは出来なかった。

 

女性たちと別れ、

私たちは間にバーを挟んだ。

これはしろくんの趣味であり

「大人の時間」を私達は楽しんだ。

 

深夜、終電が近づいてきたころ

彼は帰宅を提案した。

「今日ハロウィンだからクラブ入れないと思うよ」

 

しかし、しかし私はここで折れなかった。

これは私の片付けなのだ!

 

全然乗り気じゃ無い彼を引っ張って

クラブの前まで連れてった。

 

ハロウィンのクラブの人は凄まじく、

これは入れないし入っても危ないなと私もわかった。

見てみて納得した私はここでやっと諦めて、

その後は朝までASOBIBAという軽めの相席屋で時間を潰した。

 

始発の時間になって、

やりたい事を一通りやって浮かれている私を横目に、しろくんはずっと眠たいよ〜と言っていた。

「しろ、ありがとう。ありがとう」

俺はバンと彼の背中を叩いた。

 

その日の晩(朝)は

彼の家で横になって昼過ぎまで寝た。

 

その後昼過ぎに起きて寝巻きのまま二人で出前のラーメンを二人で食べて、

こんな何気ないことが懐かしくてすごく嬉しかった。

 

仕事に行く彼を見送って、

私は懲りずにクラブに再チャレンジした。

 

昨日前まで連れてきてもらったから、

1人でも行ける気がした。

 

先輩達に教えてもらった通り、身分証を出せばすっと入れた。

 

ここがクラブ…

私の好きなヒップホップが流れている。

遊び方なんて知らないけど、

1人で酒飲んでタバコを吸っていると若い男の子が声をかけてくれた。

「ひとりですか!?」

聞けば、彼も友達にすっぽかされて1人できたのだそう。

 

彼は振り付けがうまくて、

DJブースの1番前に行こうと言い出した。

酒の助けもあって、俺も前に出て彼の隣でくねくね

と舞ってみた。

 

何だかよくわからないけど、

人が集まって一緒に騒いだ。

 

振り付けとかよくわからないけど、

自分の主題歌とも言われてる「ピタカゲ」をあの場で熱唱できてオレはもう思い残すことはなかった。


www.youtube.com

 

深夜3時、彼は知り合った女性とクラブを出ると言って消えていった。

 

彼のおかげで楽しい時間を過ごせた。

潮時だな…

飲み放題の安い酒をもう一杯のんで、

最後のタバコを吸って外に出た。

 

深夜の街。

さっきまでの喧騒が嘘のように静かな街だった。

 

そして、始発までの時間を潰すべく

私はネットカフェになだれこんだ。

 

何か得たものがあったのか、

それは知らなくて良いことだったのかはわからないが、

私はやってみたかった事をやれて満足した。

 

やっと、20代の片付けが終わったんだ。

 

今は「普通な人と普通に恋愛したい」と思っている。

 

いつか皆に恋人ができたと胸を張って報告できる日は来るのだろうか?

それは自分次第だね。

 

それでは今日はこの辺で。

 

自分が教科書と崇めていた恋愛の本。

ドラマもやっていた。

 

 

 

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ブログの方向性が変わります。

ブログのタイトルを変更した。

 

「24歳でがんになった」時はこれは闘病ブログであったが、今後は24歳でがんになった1人の男のただ過ぎる日々のブログになる。

 

色々考えたのだけれど、

「24歳でがんになった。」のタイトルは捨てたくなくて。かと言ってその後の生活を記し始めるためにはそのタイトルを脱却すべく、

悩んだ挙句一言Return matchとつけてみた。

趣味などに打ち込む普通の生活こそが僕の闘病生活にとってのリターンマッチだからだ。

 

喜ばしいことに経過観察の間隔は1ヶ月に1回だったものも今では数ヶ月に一度となり、

自分自身でさえ〝がんサバイバー〟である事への自覚は日に日に薄れていく。

 

ブログを開設した際はご存知の通り

〝がん〟と〝闘病〟を中心に記してきたこのブログではあるが、治療を終えて数年が経つ今当然記すことも数ヶ月に一度の経過観察の事ばかりになってしまっていた。

 

癌に関わる事ばかりを記す必要もないとは思っていたが、ついタイトルにそられ自分のプライベートな話題などはあまり書く気になれず。

 

癌の話題と切り離すため、全く違う形でブログを始めようかなと思ったりもしたが、

どんな形でもこのブログが生き続ける事に意味があるのではないかと考えた。

 

実際、最近は趣味繋がりで知り合った人達がブログ見たよ、そんな知らなかったよ。いい記事だったよなんて言ってくれることがあって。

 

そうやって、何かきっかけがあった時にAYA世代の癌や心の問題について知ってもらう事にも意味があると思った。

 

だから、今後はまた日記的に色々記していこうと思う。趣味のとこが中心になると思うし、がんの話題はほぼ出ないと思う。

この舵の取り方が正しいかどうか、まだ迷いはあるけれど僕は進んでみようと思う。

 

今後はがんの話ばかりではなく、

24歳でがんになった事のある、ある男の趣味や考え事のブログにはなりますが、

どうぞ皆様今後とも〝24歳でがんになった〟をよろしくお願いします。

 

それではこの辺で。

 

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