24歳でがんになった。~Return Match~

24歳にして突然の上咽頭癌ステージ4の宣告。その時私は〝がん患者〟になった。

手術は無事に終了。

速報、膝蓋骨の手術は無事に終わりました。

詳細を以下に記しますので、お時間ある方は読んでいだければ嬉しく思います。

 

2020/07/22

昨夜、23時頃に一度眠りについたものの、日付が変わった2時半頃に目が覚めた。

 

眠れないなぁとTwitterを開くと、夕方に呟いたTweetがえらいことになっていた。

「ディズニーシーで喫煙所やっと見つけたと思ったら雰囲気クソワロタ地下格闘技場かよ」というツイートだ。

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これは所謂「バズった」と言うものだろう。

何気なく過去の旅行の写真を載せただけだったが、多くの人が笑ってくれたようで嬉しかった。

 

1000万人がみたとなると、当然広告にもなったようで…当ブログの来訪者は普段と桁違いの数になっていた。

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そんな中、「私も若年の咽頭がんで、情報を探していました。」と言う人と巡り合えた。

1000万人が見てくれた中で、この人と出会えたのがとても嬉しかった。

その方は現在も闘病中で、マンガとしてその経験を発信されている。

また、本人様とご相談の後このブログでも紹介させていただければと思っている。

 

本題に戻ろう。

緊張からか夜中に目覚めてしまった私は、あたたかい飲み物を飲もうと談話室へ向かった。

自販機をみると当然この時期に「あたたか〜い」は無く…周りを見渡すと紙コップで出てくるタイプのものは「あたたか〜い」があったので車椅子で近くに向かった。

 

で、でかい…!

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自分が車椅子に乗ってみるとその大きさに圧倒される。

いや、私は負けないぞ!

あたかいココアを飲むんだ!

ひるむ気持ちを奮い立たせ自販機さんと向き合ってみたが、病院内に良くある車椅子用のボタンがない。しばしその機械を見渡す…

なるほど、そもそも普通車椅子の人は紙コップのジュースを買わないから、この自販機は主としては談話室へ見舞いに来る健常者向けなのだろうと納得した。

 

幸い、ココアは手の届く所にボタンがあったので無事購入する事が出来た。

10数秒してから扉が開き、その中にココア様が鎮座していた。

 

手を伸ばしそれを受け取る。

さて、後は3mほど離れた談話室の机へ移動するだけだ。

 

右手でココアを持ちいざ出発…という時にハッとした。

車椅子は両手を使わないと移動出来ないのだ。

片輪を回してもその場で大回りにぐるっと回ってしまいその場に帰ってくるだけだ。考えていなかった。

 

少し考えた後、太ももにココアを挟んで両手を使い移動する事で解決した。

もしここで溢して火傷でもしたら、災難だなとか考えてるうちに机の位置まで滑って行けた。

 

暫くあたたかいココアを飲みながら病棟からの夜景を眺めていた。

 

少し落ち着きベッドに戻ると、時刻は5時前になっていた。明日は手術なので寝れるからいいだろうとそのまま本を読んでいるうちに寝落ちした。

 

朝8時ごろ目が覚める。

手術開始予定時刻は10時だが、9時ごろには準備が始まる。いそいそと歯を磨き顔を洗って、水をいっぱい飲んだ。

 

そのままする事もなく音楽を聴いて迎えを待った。

病院には母親が来てくれているのは知っていたが、コロナの感染予防から会いに行く事は出来なかった。

 

9時ごろから準備をすると聞いていたが、看護師さんが来ない。着替えに1時間もかからないのはわかっていたが、なんだかそわそわしてしまう…

結局、9時半ごろに手術着に着替えて車椅子で運ばれた。

途中、看護師さんが待合の母親の所まで連れて行ってくれて、離れたところから手を振った。

 

オペ室に入る。

大きな病院なのはわかっていたが、私が視認した限りではオペ室は21部屋あるようだ。

これは凄い…

 

車椅子を押してくれる看護師さんと雑談をしながら、私のオペを受ける部屋までついた。

 

「よろしくお願いします」と声をかけてベッドに上がった。

まずは酸素マスクを被り、点滴のルートをとってもらった。暫くしてから麻酔科の先生が「眠くなりますよ」と言い、ガスが流されてきた。

 

恐らくほとんどの人がやる事だが、何秒耐えられるか数えていた。「1、2、3…」5秒は耐えたぞと思ったところで記憶がなくなった。

 

目が覚めると病室にいた。

看護師さんに起こされた様な?この時点では覚醒しておらず記憶が曖昧である。

オペは昼前には終わっていたらしいが、時刻は14時ごろになっていた。

とにかく眠いが、激しいスポーツの後の様な心地よい眠さだ。この気持ち良さは24時間歩き続けた伝説の100キロウォークの後の様だった。

 

 

看護師さんの発する言葉の理解に時間がかかるが、

言われた通りに体を動かし一緒に確認していく。

少しずつ目も覚めてきた。

ひと段落と言うところで、尿意を催した。

 

「…あのう、トイレに行きたいんですが。」

てっきり、尿道バルーン(おしっこ貯める袋)がついていると思ったのたが、どうやら無いらしい。

 

看護師さんからし尿瓶を手渡されるが、

し尿瓶だと緊張から出す事が出来ないのだ…

トイレに行きたいと言うと、看護師さんがそれは流石にちょっとと言いつつ、医師に連絡してくれた。

 

「きちんと目覚めてますか?」との問いに

「めっちゃ覚醒してます。」と、力拳を作って見せて、OKが出た。

 

いつも通り車椅子に自分で乗ってトイレに行った。

(もちろん、ベッドから便器着座までは見守ってもらったが)

痛み止めの注射をしている分、手術前よりも快適なくらいである。トイレを済ませて車椅子に戻ると、看護師さんに「今日オペだったと思えない…」と言われた。

部屋に向かう途中、今もスポーツをしているのかと聞かれた。今はしてませんが、片足でスクワットはしていますと答えた。

看護師さんにそれはスポーツだねと笑っていた。

 

目が覚めると座位もとって良いし、水も飲めるとの事で意外に快適だ。手の届く所に物はまとめてある。

 

胃ろうを作った時は、3日もベッドの上で飲まず食わずで過ごしたんだから、それに比べるとどうっても事ない。あれはキツかったからな。

何事も経験を重ねるうちに乗り越えられる様になっていくのだと思った。

 

手短にですが今日はこの辺で。

 

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