今回の記事は治療後1年の経過観察とその結果の記録である。
おっさんの旅の記録が需要がないのは承知なので、オチだけ気になる人は以下から飛んでいただきたい。
旅の記録
経過観察に行くのは昨年12月からで3ヶ月ぶりになる。
私は関西在住だが関東のがん専門病院へ治療に行ったので、経過観察一つにしても長い旅になる。
受診当時、関東の一部地域では未だ緊急事態宣言の発令されている中、受診という大義名分をいただき久しぶりの旅となったので記録をここに記して置こうと思う。
◯
今回も行きは夜行バスで行った。
バスに乗るために久々に街に出たが、大学がいくつかある地域というのもあってか23時前になっても若者のグループが楽しそうに飲んでいた。
コロナ禍にと思う気持ちは正直ないでもないが、それは単に僻みだろう。
私だって学生時代であれば、この地域は緊急事態宣言も出ていないしと言いながら後ろめたさを持ちながらも街に出ていたと思う。
時間は有限で、帰ってこないからな。
各々工夫しながら今を生きていくしかない。
バスはいつも使ってる会社の観光バスだったが、
カーテンの丁度顔の横に位置する所にガムがついていていた…
臭いものには何とやら。
6千円で東京まで運んでくれるのでそれもまたご愛嬌、多少の事は気にしない。
◯
予定通り7時頃に東京駅に到着。
時間が多少早いのかコロナ禍だからかはわからないが、駅周辺の人通りは少ないように感じた。
朝食を取りたいところだが採血があるので我慢し、
そそくさと電車に乗り換えて千葉の病院へと向かった。
◯
最寄り駅に降り立つと見慣れた光景が広がった。
遠く離れた街なのに私に安心感を与えてくれる不思議な街だ。
私は毎回駅から病院まで1キロほどの道を歩く事にしている。
もちろんバスもあるのだが、通院治療の間毎日歩いた道なので歩くのが好きなのだ。
流石に1年で街の景色は変わっていないなと思いながら病院に近づいて行くと、
何やら大きな建物が建設中だった。
3ヶ月前まで更地だったのに…
どうやら民間主体の研究所ががん専門病院の向かいに建設中のようだ。
病院に加えて国立大学も目の前にあり、官民一体で研究する施設だろうか、やはりこの病院は勢いがある。
◯
久々の病院、手指消毒を済ませて入館する。
数ヶ月に一度来ているので懐かしいとも思わないが、ほっとする光景だ。
受付を済ませると事務員さんから呼び出し機が渡された。
前回来た時と呼び出し機は変わっており、モニターに今日の診察が情報が出る最新機種になっていた。
この病院は色々と新しいものを取り入れていて面白い。
採血を済ませた後売店でパンを買って軽く朝食を取る。
ここのパンは治療中よく食べていたので思い出深いものがある。もっとも、本当の味がわかっていた事はほぼないが…
うまいものをうまいと感じれるのはありがたい事だ。
パンを食べながらあたりを見渡すと、あるパンフレットが目に止まった。
ケチくさい性格だが、
いずれ自分に戻ってくるので寄付しようか。
「推しは推せる時に推せ」と言うのは、スマホゲームに課金するためにアコムのATMに吸い込まれていった友人が残した言葉だ。
当時は何を言ってるんだコイツはと思ったが、
今になると彼の気持ち少しはわかるな。
◯
担当医の診察。
採血の結果は問題ないとの事だった。
この後に行う今回のCT、MRIの検査で問題がなければ晴れて治療後1年が経過する。
上咽頭がんでは5年間経過観察を行うが、再発は2年内、特に1年内が多いとの事でここを乗り越えられた事は大きいとおっしゃっていた。
自分にとっては長い1年だったが、そう言ってもらえてとても嬉しかった。
3ヶ月に一度来ていた経過観察も4ヶ月に一度で良いようになるようだ。
少しでも頻度が減ると負担が減って有難いな。
◯
背中が乾燥しているとの事で治療中も使っていたヒルロイドローションを処方してくれた。
ファイバーで喉の奥も診ていただいたが問題ないとの事だった。
ファイバーでは表面しか見えないが、即座に伝えられる速報にひとまずホッと一安心だ。
◯
全て終えて時刻は16時すぎ、
お昼を抜いていたので病院のレストランで食事を取ることにした。
病院のレストランならば人もほぼいないし検温をクリアした人しかいないので外食せざるを得ないにしても安心感があるしな。
建物の階段を登って最上階のレストランを目指す。
入院中筋トレのために毎朝登った階段だ、こんな光景ひとつにしても懐かしい。
登り切ると最上階には大きな窓に向けられ設置された一つのベンチがあり、僕が日の出を眺めていた席には2人のおばさまが座っていた。
「急でびっくりよ」「早く見つかって良かったじゃない」
察するに今日診断がついたのだろうか、本人達にとっては忘れられない1日になってしまっただろうな。
ベンチから伸びる影をぼけっと眺め、こいつはどれだけの人とドラマを見つめてきたのだろうかと想像する。
がん専門病院のベンチだ、泣いた人も笑った人も沢山居たに違いない。
患者さん一人一人に自分と同じようなドラマがある事を想像すると込み上げてくるものがある。
毎朝朝日を眺めたベンチ、
病気を経験してから涙もろくなって悪い。
涙が落ちる前に私はレストランへと逃げ込んだ。
そこは何の変わりもない病院のレストラン。
特別美味いものは出てこないけど、病院食を不味いと思える間はひとりで飯を食ったり、見舞いに来てくれた友人達と話した思い出の場所だ。
ケーキセットを頼み窓を眺めれるカウンターに腰掛ける。
窓の外にはあの時と変わらぬ景色が広がる。
この街この病院で過ごしたのはたったの3ヶ月なのに、自分にとっては忘れられない特別な場所だ。
思い出すと泣きたくなるのに、僕にとっては居心地の良く大好きな場所だ。
この感覚は懐かしの母校を訪れる感覚に近いかもしれないな。
◯
その日はビジネスホテルで、
千葉のお酒とコンビニ飯を頂いた。
毎度遠方まで来るのにとんぼ帰りなのが辛い。
本当はあちこち出かけたいし、こっちで会ったみんなに元気になったところを見せたいが、今は自分が白衣を着る側の人間になったということに責任感を持って耐えるしかない。
◯
翌日は人混みを避けようと早い時間に東京駅に着いた。
せっかくこっちに来て観光できないのも辛いので、ふと思い立って皇居の周りを一周してみる事にした。外を歩くだけならCOVID-19の感染リスクもまずないしな。
ぼちぼちと歩き出すと
ニュースやドラマで見たことのある建物や、誰でも知っているような企業のビルがどんどん出てくる。
皇居の周りは聞いていた通りランナーが多く、休日の朝というのもあって多くの人がランニングに勤しんでいた。
それにしてもこんな街に住みながら休日は朝から爽やかに汗を流せてしまう人間は何者なのだろうか、
全員が超人に見えるよ。
田舎ものは田舎ものらしく、ぼちぼち自分のペースでボケーっと街を眺めながら歩いていたのだが暫くして気づいた。
陛下の庭、大きすぎませんか?
もうずいぶん歩いたはずだとスマホを取り出し確認すると3キロも歩いている。
日頃光を浴びずに過ごしている日陰系男子の私にしてはもう十分だ。
「あと何キロあるんだよ…」
スマホで調べて見ると、皇居一周は5キロもあるらしい。
えーっと思ったところでもう遅い。
ショートカットするには陛下のお庭の中を通らせてもらうのが早そうだが、
そうすると行き着く先は東京駅ではなく恐らく警視庁になるだろう。
やむなし、カラカラの喉をなんとか誤魔化しながら皇居の周りを一周東京駅に帰った。
◯
東京駅で以前テレビでみて食べたいと思っていた“東京駅のレンガあんぱん”を買った。
これで一つやりたいことリストを消化できた。
そんなことを思いながら新幹線で田舎に帰った。
経過観察の結果
時間はすぎてそれから一週間後、
いつも通り電話で主治医から造影CT、MRIの検査結果を伝えていただいた。
検査の結果“再発はなし”
ほっと胸を撫で下ろす。
また数ヶ月の命を与えてもらった気分だ…
これで私もサバイバー2年生へと進級だ。
それはあまりにも長い1年だった。
卒業まであと4年、多分あっという間だろう。
これからもいつ再発するのかとドキドキしながら、毎日がんのことを思いながら生きていくんだろうな。
勘違いしないでいただきたいが、
私にとっては癌のことを思う時間は悪い時間ではない。
癌を意識するからこそ“普通の生活”すらも輝いているからな。
その日は結果を聞く前からもう食べるつもりで冷凍庫から出しておいた
特売のステーキを食べた。
こんな安物の肉でもうまいと感じれる今が幸せだ。
こんな普通が続きますように。
それではまた。
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