24歳でがんになった。~Return Match~

24歳にして突然の上咽頭癌ステージ4の宣告。その時私は〝がん患者〟になった。

バイク事故で骨折しました。

お題の通り、バイク事故で骨折しました。

悪い報告になってしまい、申し訳ございません。

 

モザイクはありますが、一部グロテスクな画像が御座います。苦手な方はご注意下さい。

 

2020/7/16、長く降り続いた雨が止み、快晴では無いが晴れ間が出た。

 

前々から、元気になった顔を見せに行こうと思っていた田舎の祖母の所へ行く事にした。

祖母とは、1年以上会っていない。

コロナ禍ということもあり会いにいくのを躊躇していたが、復職が近付き県外に戻るとまた会えなくなると思い、このタイミングで行くことにした。

 

祖母の家は、高野山近くの山の集落の中にあるため、道中の道が細かく車で行くのは面倒くさい。

その為バイクで向かう事にした。

f:id:garnet1994:20200718193017j:image

 

連日の雨で道が荒れていた事もあり、いつもより時間はかかったが、1.5時間ほどで祖母の家に着いた。

 

久しぶりに会った祖母、山の中でひとりで暮らしているが、元気そうで何よりだった。

 

祖母は、旦那さんを癌で亡くしておられる。

(私が生まれる前で、若くして亡くなられたようだ。)

その事もあって、家族の人一倍癌に対しての怖さを知っておられるのだろう。

私と会うなり、涙ぐんでよく頑張ったと励ましてくれた。

 

昼飯を用意してくれて、食べながら色々話した。

久々の再開という事もあり、会話は弾んだ。

祖母は、コロナが収まったら、ひ孫ちゃん(私の姉の子)に会いたいねと言っていた。

 

山の中の陽が降りるのは早いので、16時には祖母の家を出た。

f:id:garnet1994:20200718193100j:image

珍しい景色が見れて面白かった。

 

1時間ほど走り山を下って町に出る。

町とはいっても、畑と家が入り混じる町だ。

 

ここまでくれば、家まであと1時間もかからない。

山を下り油断したのがいけなかった。

信号待ちを終えて前の車がゆっくりと進み出す、その時左手から音が聞こえたしがしてフッと振り返った。

 

何も無いじゃ無いか。

視線を前に戻すと、進み出したはずの前の車が止まっている。

 

しまった!

ブレーキをかけたが間に合わない!

 

とっさに空いていた対向車線へ避けようとしたが間に合わず、私の左膝が前の車両へ激突した。

 

やってもうたぁ!

体は宙を舞い、気づいた時には地面に叩きつけられていた。

 

「大丈夫ですか!」

人が集まってくる。

手足を動かし四肢が付いていることを確認した。

とりあえず安心か。

「大丈夫です。歩けますから…」

 

自力で歩き歩道へ逃げる。

幸いバイクはガードレールに激突したのみで、倒れていた。人に当たらず何よりだった。

 

「バイク起こしましょうか?」

声をかけてくれた兄さんに、大丈夫自分でやれますからと答えた。

歩き出そうとした時、左足に激痛が走った。

痛い、歩けない!

 

手足は動くのだから神経では無いだろう、多分骨折だ…冷静に考えながらするべき事を考えた。

 

保険会社に電話…後ででいいか。

そうだ、家族に電話しておかないと心配するぞ。

実家に電話をかけると、母が出た。

「事故を起こしたけど、話せるくらいで大した事ないから。連絡が来てもビックリしないでね」と伝えた。

 

じきに救急車が来て対応してくれた。

「何か大きな怪我や病気はされましたか?」

咽頭癌の治療をした事を伝える。

 

同時に警察も事情を聞いてくる。

「僕が悪いんです。よそ見しましたから…」

 

そのままストレッチャーに乗せられ救急車が動き出した。

 

ストレッチャーに乗せられ天井を眺めているうち、受け入れ先の病院に運ばれた。

 

てきぱきと医師と看護師が処置をしてくれる。

「首の傷、大きいですよ。もう少しズレていたら太い血管で血が吹き出してましたよ…」

 

見える傷口の手当てをしてもらって、X線検査、CTと運ばれる。

 

検査の結果、痛みを訴えていた左の膝蓋骨は骨折していた。他は大した事は無さそうで何よりだった。

頭や脊椎なら大変なことになっていた。

 

骨折を伝えられて一番に思った事は、走れるほどに治るのか。8月の復職に間に合うのかだった。

疑問を医師に問いかけた。

「オペが必要です。走れるくらいに治ると思いますが、数ヶ月単位ですね…」

 

やってしまった…

癌の長い休職を経て、やっと復職が近付いていたのに。

 

そのまま入院となり、病室に入った。

急な入院なのでバタバタとして、中々家族にさえ電話できなかった。

 

暫くして連絡を受けた母がやってきた。

偶然にも、前回の記事で必要なものをまとめていたので、スムーズにお願いが出来た。

 

流石に、癌治療が終わったばかりの息子が次はバイク事故とあっては驚いたろう。

「癌で5年、事故で5年寿命が縮んだ」と言われた。

膝は痛んだが、出来るだけ元気な素振りをした。

f:id:garnet1994:20200718195207j:image

 

その日は遅かったので、私の顔を見て母帰り、私は田舎の病院の大部屋にひとり取り残された。

 

事故の落ち着きが出てきてやらねばならない事がぽつぽつと浮かんできた。

保険屋への連絡、相手様への連絡は当日中に済ませたが、明日の朝職場に電話をするのが憂鬱だ。

癌で療養中の私が、バイクで事故をしたとなると…

 

落ち着いてきて、色々と考えてしまう。

あぁすれば、こうすればというの思っても仕方のない事なのはわかっているが…

 

憂鬱な気分を払おうと顔を洗った。

その時、医師の言葉を思い出して首の怪我の様子が気になった。首のガーゼを取ってみて見ると…

f:id:garnet1994:20200718193134j:image

 

ゾッとした。

あと数センチ、左に逸れていたら頸部の血管が切れていた。

頸動静脈というのはかなり太い。

表在側にあるのは静脈だが、それでももし切れていたら…

 

母の表情を思い出す。

タイミングが悪かった、癌治療が終わってのこれだ。なんて親不孝なんだ。

自分が元気になる事を楽しみに応援してくれた人々に申し訳なく思った。

 

情けない…

 

これだけ家族にも職場にも迷惑をかけて、バイクに乗り続ける事は出来ない。

癌の再発は自分の意思で(リスクを減らそうとも)ゼロに出来ないが、バイク事故は自分の意思でゼロにできる。

 

僕は、一旦バイクを降りる事にした。

 

今回の事に関しても後悔はある。

でも、最初からバイクに乗らなかった方が良かったかと聞かれるとはっきりとNOと答えられる。

リスクはあるがそれだけ面白いモノだからだ。

 

自分の青春の真ん中に、バイクがあって幸せだった。

ひとりでもみんなでも、大きくても小さくてもバイクは面白かった。

f:id:garnet1994:20200718195409j:image

f:id:garnet1994:20200718201600j:image

f:id:garnet1994:20200718202102j:image

 

一旦、良かったと思えるところで休もうと思う。

自分の好きなモノを嫌いになってしまうのが嫌なんだ。ライダーじゃなくたって、参加者にはなれる。

 

また落ち着いたら、バイクに乗ろう。

 

今はとにかく、この足を早く治して仕事に戻りたい。元の生活に戻りたい。

復職が一つ、癌治療が終わっての社会復帰の目安の一つと思ってたのでとても残念だ。

今回は自分が招いた事とは言え、暫く悪いことが続くと落ち込んでしまう。

しばらく静かにしていようと思った。

 

ブログで応援してくれてる皆様にもご心配をおかけしました。

猛省してます。