24歳でがんになった。~Return Match~

24歳にして突然の上咽頭癌ステージ4の宣告。その時私は〝がん患者〟になった。

自殺はやめとけ、最悪死ぬぞ。

それは夜も蒸し暑くなってきた、7月の終わりのことだった。

 

「お前には悪いけど、死にたいんや。」

電話越しに、友人がそう言ったところから眠れぬ夜は始まった。

 

友人は飲食店を構えていたが、他のサービス業同様にコロナの影響を受けており、本人は相当参っているようだった。

聞けば、単に店を閉めて経営が難しくなったなどと言う簡単な話ではないようだ。

電話越しにも酒を飲んでいるのがわかる勢いで彼は話し続ける。

「俺は料理に命かけてきたんや、それを誰も分かってくれへん。だから俺は死ぬんや。」

おいおい、このまま酔いも手伝って本当に死ぬんじゃないだろうな。

そうなると俺だって後味が悪い、勝手に死ぬな。

 

こう言う時優しい言葉をかけられる人間ならば良かったのだが、私は殴って殴って抱きしめてしまうような人間のようだ。

「お前が死にたいことと、俺が生きたい事は関係があるようでない。人の痛みはその人にしか分からないのだから、私に対して悪いけどなんて言わないでおくれ。」

それから「自殺なんてしょーもない事すんなよ」と言って電話を切った。

 

その日の晩は彼の言ったことが頭から離れず眠れなかった。

自殺という選択肢に納得できなかったが、うまく説得できる自信もなく、それから何日かあいつに電話をしようか、いやどうだとスマホを手にとっては置いた。

 

よくよく考えてみると、自殺と言えば苦悩から逃れたいパターンだけだと思っていたが、自己表現のために自殺する人もいるのだなと思った。

例えば不祥事を起した人の自殺や軍人の自決は、意思表示の意味を含むのでこのパターンだろうか。

 

人それぞれの意思を尊重したいが、自分としてはどんな形であれ自死は許したくない。

未来ある人なら尚更だ。

 

だからはっきりと記そう、

例え自死を選んでも自分が思うほど世間は注目してやくれない。

小さな店の店長がどんな思いで自殺しても、夕刊の隅っこに載って終わりだ。

電車の中で夕刊を読むオヤジも瞬間は可哀想になんて思ってくれるのだろうが、電車を降りる頃には忘れてる。

常連さんも暫くは泣いてくれるが、落ち着けば忘れちまう。

残された家族や友人達だけが、一生その悲しみと向き合わねばならなくなるのだ。

 

料理人なら料理人らしく、料理で自己表現しろ。

お前が自慢してくれたその包丁で自らの命を立つと言うのなら、既にお前は料理の為に死んでいない。

逆に料理中に包丁が突き刺さって死んだと言うのなら、頑張ったなと泣いてやる。

 

何をするにも目的が大切だ。

その目的がブレると自分がどこに向かって行くべきか分からなくなる。

お前が人の記憶(トラウマ)に残りたいだけなら勝手に死ねばいいが、表現者であると言うのならば一生生きて表現し続けろ。

 

他人の心配をするのもいいが、5年後に私が生きている確率は50/50だ。

こっちは願ってもないのに死ぬのかと思うと笑えてくる。

 

時刻は25時を回ったころだ。

暫く病室の天井を眺めていたが、いよいよ眠れないと悟った私は、眠剤と痛み止めで半分ほどしか機能していない頭でぼーっと浮かんでは消えていく思考を眺めていた。

 

2019年の10月に癌がわかるまで、大きな病気もした事もなく、もちろん入院もしたことが無かった。

それなのにここ最近は患者として病院でばかり過ごしている。

 

今回の入院はバイク事故、自分の不注意が招いた事であり猛省している。

天井を眺めながら、前回の入院と違うことといえば、点滴は無くなったが足が不自由になった事だなぁなんて考えたりしてた。

 

天井に手を伸ばしてみる…

「俺、なんで生かされてるんだろう。」

ステージ4の癌から帰ってきた、バイク事故も大したことは無かった。

私はどんな事にも意味があると思っている。

意味なんてないのなら、それは見つけられていないのだと…

 

両手を広げて、10本のうち1本を倒す。

5年生存率50%…

1本を半年とすれば、今年3月の治療終了後からやっと1本倒れるところだ。

私だって後5年で死ぬつもりはないが、死ぬかもしれないという覚悟で生きなければならない。自分の生きている今日は、誰かの生きたかった明日だ。

 

「癌になって良かった」なんて、5年後寛解した時にもまだ言えないと思う。

可能性はほぼ無くなったとしても、いつかは再発する可能性もあるからだ。

多分、再発の恐怖とこの後遺症と戦い続ける限り、癌になって良かったとは言えない。いや、言える日なんて来ないと思う。

 

でも癌になった中で数少ない良かったと思えることと言えば、〝命に終わりがあること、その終わりは突然であるということ。〟を意識できた事かもしれない。

しかし、私とてやんわりとそれを認識しただけで、未だに世間の凡人と同じようにリアリティのある物として受け入れられていない。

リアリティのある物として感じていれば、脱サラして今頃GO TO北海道でツーリングしてる筈だ。こうなってもなお、また来年があるとどこか思っているから旅では無く復職の段取りをしているんだ。

 

癌を告知された時の衝撃もそれなりだったけれど、バイクで事故を起した恐怖も僕の心に留まっている。今は杖をついて歩けるような状況で、ゆくゆくは走れるようになるのもわかっているけれど、もし手足が、命が無くなっていたらなどと思うとゾッとする。

 

病気や怪我を経験して言えることは、健康ほど尊い物はないという事だ。

そんな事誰だって分かっていると言うが、本当に噛み締めている人は少ないと思う。

何人も看取ってきた医者やありがたい話をしてくれる坊さんより、事故で心停止して還って来た人とか、戦争に行ってきた人の方が死に対してのリアリティを実感していると思う。

 

結局何を言いたいのか分からない記事になってしまったが、雑記帳みたいなブログだから誰も文句も言わないだろう。

病気になった時にブログを勧めてもらったことに感謝している。自分の考えを吐き出せるからな。

 

夏休みが終わって死にたい学生とかいたら手紙をおくれ、何もしてやれんけど 一緒に泣いてやるわ。

 

「自殺はやめとけ、最悪死ぬぞ。」

 

 

 

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