24歳でがんになった。~Return Match~

24歳にして突然の上咽頭癌ステージ4の宣告。その時私は〝がん患者〟になった。

1年9ヶ月目の検診と近況報告

お久しぶりです。

今年も残すところわずかとなりました。

 

何度も筆をとりましたが、

書き始めては最後まで書けずじまいになっていました。

 

なので今回は最後まで記せるよう

簡潔に記そうと思います。

 

◯1年9ヶ月ぶりに経過観察にいった

関東に1年9ヶ月ぶりの経過観察にいった、

結果は何も問題なし。

良い気分で年を越せる。

 

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病院に僕の名前が載っていた。

仲間の力になれれば嬉しい。

(ペンネームの春本の名前は無いです)

 

精子凍結保存の更新と検査

癌治療の影響で無精子になるかもしれないという話だったが、1年9ヶ月ぶりに検査をしてもらうと自分の精子は生きているという結果だった。

 

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病院に用意してくれている

本のセンスが面白すぎて1人で笑った。

 

◯27歳になった

誕生日が来て27歳になった。

癌がわかった頃24歳だった事を思うと

時間が過ぎるのは早いなと感じる。

歳をとっていけるのは幸せだが、自分はきちんと大人になっていけいるのか不安に案じる時もある。

 

◯車を買った。

8万キロの中古車だが、

ちゃんとタイヤが4つついていて真っ直ぐ前に走る。

気に入ってよく出かけるようになった。

トヨタの車なので40万キロは乗れるはず。

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◯足の手術をした

バイク事後で入っていた膝のワイヤーを抜いてきた。やはり無い方がスムーズに動く。

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記念に取っておいてもらった。

 

◯誕生日プレゼント

沢山の誕生日プレゼントをいただいた。

 

欲しかったカシオスタンダード

これはコートに合わせたい!

いわゆる「チプカシ」と呼ばれるシリーズだが、

気取らない感じが可愛らしい。

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使ってみたかったコーティング剤

手軽で使いやすいみたい。

評判が良いので使用が楽しみ!

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以下3点は

 SNS友達のありすちゃんから!

いつもありがとうございます。

 

作業用のグローブ

知る人は知るグローブ!

これから愛用していきたい!

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ミリタリー系の折り畳みボックス

折り畳めるので使い勝手が良い。

自分の好きなコヨーテカラー

キャンプギアを収納し持ち出したい!

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使ってみたかった洗顔

最近汚れが気になってきたのでしっかり使っていきたい!

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今年も1年間ブログやSNSをご覧になっていただき、

ありがとうございました。
来年もゆっくり更新していきます。
どうかみなさま、よいお年をお迎えください。

 

来年も良い報告をできますように。

 

 

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死ぬまで死なない

薬が良くあっている。

ここのところ調子がいい。

 

時々人を誘って出かけたりするようにもなった。

同僚ともご飯に行くようになった。

とにかく、調子が良い。

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職場の同僚がプロテイン入りのジュースを飲んでいた。

ここ最近、コンビニなどで良く見かけるようになったものだ。

「それって美味しいの?」

そんな会話から筋トレの話題で盛り上がった。

 

「僕の通ってるジム、体験してるからよかったら〜」

無料なら試してみるのも良いかなと、スニーカーを持ってジムに行った。

 

がんとわかる前は後続して運動をしていて

体力に自信はある方だったが、

ここ2年間ほぼ運動はせず、数える程自転車に乗った程度だった。

 

その日は随分久しぶりのトレーニングだったので

ストレッチを念入りにしてジョグや軽いウェイトトレーニングした。

 

体を動かしてみて体力の衰えを感じた。

特に怪我をした足の動きが悪い。

痛みなどあるわけではないがみるからにかばっている動きだ。

 

ここ数年「ストレスのかかる事はしない」と自分を甘やかしてきたが

現実を受け入れ一念発起しトレーニングを再開することにした。

 

元々体を動かすのは好きで、

ハマっていた趣味を再開したのだから続かないわけはなかった。

 

家でスマホばかりいじっていたが、

レーニング中はスマホを遠くに置いて夢中で打ち込める。

ただ無心で体を動かすという作業が面白い。

 

しばらく後続すると足の動きも良くなってきて、人並みに走れるようになった。

 

ジムにくる人というのはそもそも「筋力をつけたい」「健康でいたい」というような人たちなので、老若男女問わず外見や内面が綺麗だ。

さらに筋力をつけたい!痩せたい!

変わりたいと思う人は美しい。

自分にも良い刺激になる。

 

僕も頑張ろう。

「死ぬまで死なない」

とりあえずの目標は、富士山を登る事だ。

 

がんサバイバーとわかるようなTシャツでも作って、

チャレンジしてみようかな?

 

色々とやる気が湧いてきたよ。

もう少しだけ人生を生きようと思う。

 

 

 

 

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夏が終わって

夏が終わった。

仕事柄特に感染症の流行っているシーズンは中々人に会う事もできず、

今年の夏はエアコンの効いた部屋でひとり静かに過ごして終わった。

 

夏の間に変わったことといえば、

出してもらう薬が増えたことくらいか。

 

それが合っていたようで、

今までモヤがかかっていて

いつも眠たいような気分が少し晴れた。

 

何か楽しいことにチャレンジしようという気分も出てきた。

 

仲間に付き合ってもらって、

田舎のおばあちゃんの原付を引き取ってきた。

(おばあちゃんはバイクと交換に電動自転車に乗り換えた)

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シャリィという可愛いバイク、

カゴ付きというところが渋い。

 

メーターは5000キロ代だったけど、

本当に20年前のバイクなんだろうか。

ばあちゃんは一度もオイル交換をしたことがないと言っていたけれど、これは相当レアな気がするよ。

 

ツナギを着て1000ccのスーパースポーツバイクに乗っていたのに、おばあちゃんの原チャからやり直しだ。

 

バイク屋に預けてメンテナンスを行ってもらった。

30年近く前のタイヤとオイルがそのまんま、店主も笑っていた。

 

◯1週間ほどしてバイクを引き取りにいった。

「やっぱりこのエンジンは強いねぇ」

車体まで綺麗に洗ってくれていて、店主の仕事の細かさが伝わってきた。

 

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久々のバイクなので、

近所をトコトコと走ることにした。

 

こんな道があったのか

このお店も気になってたのよ…

 

近所にこんなに素敵なところがあったなんて

知らなかった。

 

今までは急いで駆け抜けてしまって

大切なものを見落としてきたのかもしれないな

 

これからはゆっくりと

あたりを見渡しながら走ってみようと思ったよ。

 

小さくても大きくても、バイクは変わらず面白い。

今も昔も変わらない。

「バイクが、好きだ」

 

また怪我しないように気をつけて走ろう。

引き取りに付き合ってくれた友人にも感謝

こんなバイクでも仲間と言ってくれるチームメイトに感謝。

人に恵まれて嬉しいな。

 

世話になっていた上司が癌になった。

 

しばらく休むからと挨拶に来た時思わず言った。

「僕も癌だったんです。でも、帰って来て普通に仕事してます。だから大丈夫です。」

「全然わからんなぁ。ほっとしたよ。」

 

上司は今も闘病中であるが、時々職場に顔を出してくれる。

「髪が抜けて来たぞ、丸めた方がいいかな?」

「思い切って坊主に…」

 

周りに人がいない時にそんな話をしている。

身近な人が癌になったのは当然ショックな出来事であったが、その時そばにいれて良かった。

 

上司の治療は無事進行中で、

時々顔を出してくれるが顔色も良さそうだ。

 

好きだったものを再開した。

 

ふと入ったリサイクルショップで、

エアガン(オモチャの鉄砲)が安く売られていた。

 

高校生の頃、友人とサバゲーにハマり込んでいた。

その時は高価で買えなかったようなものが安く売っていたので思わず買ってしまった。

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※プラスチック製の合法モデルガン

 

それから気にしてリサイクルショップに行くうちに

お買い得なものがたくさん出て来て、

あっという間にマニアに帰ってしまった。

 

おもちゃのテッポーなんて

他人に自慢出来るものではないが、

自分の好きなものは集めるだけでもおもしろい。

 

持っていて何か役に立つわけではないが、指輪みたいなものであるだけで意味がある。

久々にサバゲーをしたくなったな。

 

秋になって驚くほどCOVID-19の流行が落ち着いた。

今のうちに会いたかった人にあったり、出かけたりしたいなと思う。

 

秋は涼しくて快適だ。

楽しいシーズンにしたいな。

 

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AYA研入会とがん研寄付

いよいよオリンピックが始まった。

ミーハーなので開幕式はみたが、それ以降なんの試合も見ていない。

友人には「どうしたの、忙しいの」と心配されたが、スポーツ観戦に興味のない人種がいる事もわかっていただきたい。

 

私は今一人、静かにコーヒーを飲みながらブログを書き綴っている。

いつもながら長ったらしくなりそうなので、今回も目次をつけた。 

 

一般社団法人AYAがんの医療と支援のあり方研究会(以下AYA研と略す)に入会した。

AYA研についての説明の前に、AYA世代という言葉についておさらいしたいと思う。

 

AYA世代について

“Adolescent and Young Adult(思春期・若年成人)の頭文字をとったもので、主に、15歳から30歳代と対象が広く、年代によって状況が異なることから、15~19歳をA世代、20歳代以降をYA世代として分けることがある“

(主にがん医療においてのみ表現される言葉)

 

AYA世代(15−39歳)のがんは全がん患者のうち約2.5%しかおらず、

身体的影響、社会的影響、経済的影響において小児とも成人とも異なる部分がある。

 

例えば幼児であれば、治療についてお金のことを自身で考えることはないだろうし、

80歳の人であればがん治療によって不妊になることを考えることはないだろう。

 

AYA世代は多くの人にとって、

親から自立したり、生活の中心が家庭や学校から社会での活動に移行したりしていくなど、大きな転換期を迎える時期である。

家族のこと、お金のこと、学校のこと、仕事のこと、将来のこと…

患者自身にとって、世代特有の問題がある。

 

加えて、医療の面からみても小児がんと成人のがんが混在したりと複雑な面が多いようだ。

 

上記データ等は国立がん研究センターがん情報サービスより一部改変して引用

 

これらAYA世代のがん治療について学ぶ中で、AYA研の取り組んだ研究やデータを目にすることが多くあり、私も何か役に立てることがあればと思い今回入会させていただいた。

 

AYA研入会について

AYAがんの医療と支援のあり方研究会

AYA研のモットー

AYA研とは

“思春期・若年成人(Adolescent and Young Adult, AYA)がん領域の学術活動、教育活動、社会啓発及び人材育成等を行うことにより、思春期・若年成人がん領域における医療と支援の向上に寄与することを目的として、医療者、研究者、患者、家族などが協働して活動する研究会です。(略称:AYA研、英語名称:AYA Oncology Alliance)”

 

AYA研発行の冊子などが置かれているのを目にしたことがある方も多いのではないだろうか。

AYA世代がん患者家族向け冊子「AYA」 

AYA世代がん患者家族向け冊子「AYA」

 

今回私は準会員=がん患者として活動に参加させていただく事となった。

私にとっては、本業の身分、立場はもちろん大切ではあるが、同じくらい匿名で自由に出来るここ(インターネット上)が居場所として大切なのだ。

 

今後も一がん患者として匿名で活動していきたいという思いがあり、正会員としての参加は見送った。

自分にできる形でできることに取り組ませていただければ思っている。

 

国立がん研究センター寄付について 

前回の経過観察の時に、自分の治療先の病院が寄付を募っていることを知った。 

garnet1994.hatenablog.com

 

闘病、療養中から現在に至るまでブログやSNSの友人から沢山送り物をいただき支援していただいた。

本来であればお返しするのがマナーだとは重々承知していたが、

匿名でいただいたものもありお返し出来ないままになっていた。

 

辛かった時期に沢山の人々に支えていただいたのに、私は何も返せていない。

だから私も恩返ししようと思った。

 

特に、今回募っている建替プロジェクトの寄付については遠方から治療にいく患者さんとその家族が泊まれる隣接型宿泊施設の建設が盛り込まれていることが最終的な寄付の決心となった。

 

ご存知の通り、私は関西から関東のがん専門病院へ数ヶ月に及ぶ治療に参った。

「自分が選んだ病院で、後悔の無いように治療が受けたい」

自ら選択した事とはいえ、4ヶ月×10万円の家賃はとても大きな出費だった。

 

ある時、外来で怒鳴っているおじいさんがいた。

「金のないモンは死ねっていうんか‼︎」

どうも、遠方から遥々この病院まで来たようであるが、この病院は入院ではなく通院での治療が基本であり、遠方から来る方はマンションやホテルを確保しているという話を受けての反応だったようだ。


(通院でのがん医療は現在多く行われており、患者にとって体力的衰えが少ないことや、社会との関わりが保ち続けられるなど多くのメリットがあるからこそ推奨されている方法であることは承知の通り。意地悪で入院させないわけではない)

 

地域による医療格差を少なくするためにも、

このような宿泊施設ができれば良いなと兼ねてから思っていたのだ。

 

以上の理由から、心ばかりではあるが寄付をさせていただいた。

(銘板に名前を載せてくれるようなので、少しその楽しみもあるが)

 

国立がん研究センターは研究開発法人であり、

国からの支援をほとんど受けていない(受けている分については用途が指定されてしまっている)そのほとんどを自分たちの経常収支で賄っているのが現状だ。

 

国はこのような施設に力を入れなければ、どこに金を流しているのだろう。

この国のがん医療の発展のためにも、少しでも寄付が集まればいいな。

がん研寄付

 

国立がん研究センターご寄付のお願い

 

私が行ったものはこちら

国立がん研究センター東病院・建替整備事業

 

 連休でブログのアクセス数が減っている。

みんな出かけているのかな、オリンピックを見ているのかな。

 

そんなことを思いながら、図書館で一人パソコンを叩いている私です。

 

それではまた。

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1年4ヶ月目の経過観察の旅

今回の記事は治療後1年4ヶ月の経過観察とその結果の記録である。

オチだけ気になる人は以下からどうぞ。

 

 

出発

前回1年目の経過観察以来4ヶ月ぶりの受診である。

 

今回も行きは夜行バスで行った。

前日は泊まり込みで仕事だったので、疲れ果てていた私は乗り込むやいなや眠りについてしまった。

すっかり熟睡し、目が覚めた時には東京駅だった。

 

こちらはまたもや緊急事態宣言の発令中であるが、

昨年5月の宣言下とは比べ物にならないほど人出は多かった。

 

東京オリンピックまであと7日

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私がスポーツに興味がないのもあるかもしれないが、

街も盛り上がっているようには見えない。

 

何だかこっちまで不安な気持ちになってくる。

私は宿題を終えぬまま夏休みが終わってしまう、そんな夜を思い出した。

 

 

電動キックボードに乗る 

どこにも寄り道せず、

千葉のがん専門病院の最寄駅まで電車で移動した。

 

時刻は8時過ぎ、受診までまだまだ時間がある。

さぁどうしようかと駅を出ると、目の前に面白そうなものが飛び込んできた。

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電動キックボード…

遠目に見ていると、お兄さんがスマホをかざして颯爽と乗り去って行った。

 

なに、借りれるのだろうか?

良く見ると公道での実証実験中らしく、無料でレンタルできるらしい。

 

乗りたい…‼︎

過去にバイクで事故を起こしたトラウマが蘇ってきたが、

今回は好奇心が勝った。

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必要な手続きはスマホで済むらしい、

LINEで運転免許証の写真を撮りそれを送る。

(モノ的には小型特殊自動車であるので普通自動車の免許で乗れるが、このレンタル事業者は加えて普通二輪の免許も必要要件としていた)

 

朝方なので手続きに時間がかかるかと思っていたが、

10分ほどで乗車の許可が降りた。

あとは電動キックボードについているQRコードスマホで読み込めば電源が入る。

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エンジン音がするわけでもなくぱっと見は電源が入った事はわからなかったが、

良く見ると灯火類が光っている。

 

ざっと見渡せばわかるシンプルなものだったが、

一つ気になったのはウィンカーがない事だった。

警察の許可を得た実験のようなので当然問題はないのだろう。

気づかないだけでどこか光るのかななんて考えながら、

とりあえずウィンカーは使わず手旗信号で乗る事にした。

 

3カ月とはいえ住んでいた街なので道はわかる。

私は車通りの少ない道に出てそれを構えた。

普通のキックボードのように助走をつけて蹴り出したあと右手のアクセルを押す。

グワっと加速しスピードに乗った。

 

おぉすごい‼︎

そう思ったのは束の間、あっという間にリミッターがかかり15km/hをキープすることとなった。そりゃそうか。

 

走り出したはいいがどこに行こうか…

怪しい乗り物は人々の視線を浴びながら車道の隅を走っていく。

隣を急足の男子高校生のママチャリが追い抜いていった。

15km/h…街の景色を眺めて行くには丁度良い。

 

そうだ、かねてから気になっていた史跡を見に行こう。

その場所は駅から2キロほど離れており、通院していた病院や住んでいたマンションとは異なる方向にあったため、住んでいた頃にはバスの車窓から眺めただけで近くで見れなかったことが心残りであったのだ。

 

電動キックボードは実に良い仕事をしてくれた。

 

これほど小口径のホイールなのにサスペンションがあるからか地面のギャップはさほど気にならず、上り坂でも15km/hをキープしてくれた。

大通りなど走るのが怖い所では、降りてしまえばついて歩行者として歩けるのでフットワークも軽かった。

バイクというかはロードバイクの乗り味に近いと感じた。

 

そうしてあっという間に目的地にたどり着いた。

気になっていたのはこの史跡。

 

旧陸軍東部第百五部隊営門

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奥には航空自衛隊柏送信所がある

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元々この地域は陸軍の飛行場を中心とした軍郷であり、終戦後それらの跡地に大学や公園、研究所などが整備されたらしい。

 

柏といえばロケット戦闘機秋水の燃料庫も有名だ。

こういった史跡はいつまであるか分からないから、見れるうちに見ておきたいな。

 

怪しい乗り物でそのまま移動し、

治療中住んでいたマンション付近を徘徊する。

 

徒歩で通院する際にいつも手を合わせていた小さな神社にも久々にお参りさせていただき現状のご報告を。

 

そうこうしている間に丁度良い時間となったので、

のらりくらりと駅に移動し電動キックボードを返しバスで病院へと向かった。

 

 

病院での検査と診察

病院では採血を済ませ、歯科受診までスムーズに。

 

その後頭頸部内科を受診し、担当医から採血の結果はそれほど問題なしということを伝えていただいた。

問題があるとすれば、甲状腺機能が少し低下していて基準値を下回っているようだ。

甲状腺というのは喉の前面に位置する器官であり、今回上咽頭癌の放射線治療でダメージを受けているためそれが原因のよう。

 

甲状腺ホルモンは一言で言えば「新陳代謝」に影響してくる。だるさや疲れは甲状腺機能低下症のわかりやすい例だ。最近の疲労感はもしやそれらも関係があるのかもしれない。

 

先生曰く治療後1〜2年内に頻発する晩発的影響(数ヶ月以降に起こる放射線障害をこのように言う)の一つが出てきたのかもしれないと言うことだった。

 

ここの所、喉や腰など痛いところがたくさんあって心配だったが、

ひとまず採血の結果は問題なかったようで一安心。

 

いつも通りスムーズに診察を終わろうかと言う時

私は現在心療内科にかかっていることを伝え「精神腫瘍科」の受診をお願いした。

先生は快く他科紹介への段取りをしてくれたが、次の検診に合わせ4ヶ月先になってしまった。遠方からそう何度も来れないのでコレばかりは仕方がない。

 

造影MRI、今回も爆睡した。

造影CT、検査自体はスムーズに行ったのだが、検査後右手に発赤のようなものが出ている事に看護師さんが気づいてくれた。

「造影剤の副作用かもしれませんね、気分はどうですか?」

「いえ特には…これはただの日焼けではないでしょうか」

「いえ、明らかに赤いですよ」

確かに左右差があり発赤していたのだが、私としては今朝半袖で炎天下の中電動キックボードに乗ったことが原因な気がしていた。

とはいえ、何度も行っている人でも造影剤で副作用が出ることはごく稀にあるので可能性としては捨てきれない。

少し観察を行なったのち、問題がなさそうだと言うことで検査終了となった。

 

その後放射線治療科でファイバーで喉の奥も診ていただいたて問題ないとの事だった。

これで少し安心。

 

全ての診察、検査を終えて前回同様病院で食事とした。

今回は売店で牛丼を買ってそれを食べた。

 

入院中はいつも夕方半額になったものばかり食べていたので、昼間に様々な種類の中から選べるのは嬉しかった。

 

街の散策

食事を取ったあと、病院を後にし柏駅に向かう。

 

良く通ったビックカメラでカメラ用品を買って、

その後駅ビルの中で宝くじを買った。

私は普段ギャンブルはやらないのだが、経過観察にきたときは宝くじを買うようにしている。稀な癌にあたったのだからきっと宝くじも当たるはずだと思うからだ。

サマージャンボは当たればいくらだろう?何億とは言わないから6千万円ほど欲しいな。そうすれば働かずに暮らせるのだが。

 

その後、バスで郊外のアウトドアショップに移動する。 

過去にも紹介したアルペンアウトドアーズ柏店。

goo.gl

全国に4箇所しかない旗艦店で、かなり見応えがある。

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平日夜と言うこともあり、思惑通り人は少なく安心してショッピング出来た。

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アウトドア好きな人は是非ともオススメしたいスポット。

(休日は混雑するので注意)
 

 

閉店間際までショッピングしたあと、

都内のホテルへ移動し持ち込んだ弁当と酒を飲んで寝た。

 

翌日はどこにもよらず新幹線で帰路についた。

本来であればこちらの友人と横浜を散策しようと言う話であったが、まん延防止等重点措置の発令に伴い泣く泣く延期とした。

 

帰りの新幹線では同い年くらいの女性が隣だったのだが、

終始マスクを着けていなかったので嫌な気分だった。

(何か理由があったにしろ隣にいる私としては不安だったと言うのが本音) 


早くサマージャンボ当たって、プライベートジェットで移動できるようになりたいな。

 

今回の旅の間、KEENのユニークと言うサンダルを履いていたのだが

スニーカーのようにホールド感がよいく、見た目も良く蒸れないので非常に快適だった。

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夏の相棒はコレで決まりだ。

[キーン] サンダル UNEEK(現行モデル) ユニーク メンズ BLACK/BLACK 26.5 cm

 

 そのまま無事田舎に帰り旅は終わった。

 

経過観察の結果

 時は流れ翌週、

いつも通り電話で主治医から造影CT、MRIの検査結果を伝えていただいた。

検査の結果“再発はなし”

 

コレでまた4ヶ月間生きられる。

周りの人は私がすっかり調子が良いように見えるかもしれないが、

耳鳴りは続き気分も上がらず、あちこち体の痛みがある。

ずっと再発の不安に怯えていて、またしばらくの間だけ安心して過ごせる。

 

何か悪いことをしたわけでもないのに

生きさせていただいてるような、生きて良いと赦しを得たような、そんな後ろめたさをずっと感じている。

 

今回のお赦しを受けて、一つ大きな買い物をしようと決心していた。

まだ段取りをしている段階で、報告できるのはまだ先になるかとは思うが、手に入ったらまた記事にしようと思う。

 

お決まりの通り冷凍してあった半額のステーキを焼いて食べた。

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肉を食べればいつでも元気になる‼︎

それではまた。

 

 

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秘密のこころ

私は社会人になって5年になる。

 

癌治療の終了後1年ほど経って転職したが、

同業のため入社したと同時にたくさんの後輩が出来た。

実務は元より、組織からは中堅層として後輩たちの指導に当たるような立場を求められた。

 

「いずれチームを率いていくんだぞ」

会社の人は部長クラスの数名以外、私の病気や休職のことを知らない。

 

直属の上司からはたくさんの仕事を与えられ、

それに答えようと毎日遅くまで勉強した。

最初の数ヶ月は、17時の業務終了後2、3時間は自分の学習の時間として職場で過ごした。

 

職場の人々の熱心な指導もあり、暫くで一通りの業務をこなせるようになった。

 

自分の疲れを自覚したのは転職し暫くのことだった。

 

人の名前が覚えられず、簡単な計算が出来ない。

まるで眠っているような毎日だ。

かと思うとドキドキとし出して止まらないような時もある。

 

何度も体に覚えさせたような〝仕事〟はできるのだがそれ以外のことができない。

例えれば、徹夜で夜中の高速道路を走っているような感覚だろうか。

ただ道に沿って走ることはできるのだが、それ以外のことができない。

 

なぜそのような状態になったのか

私は当初寝不足が一つの原因だと考えた。

寝不足に対応するためには、

単純に睡眠時間を伸ばすか眠りの質を上げる必要があるだろう。

 

20時まで職場にいることもあったが、なるべく23時には寝るようにした。

これで大体7時間は眠れる事になる。

 

睡眠の質を上げることに関しては、

長年連れ添った中古の折り畳みベッドを卒業し、まともなベッドを買った。

家具屋でバイトしていた時からの憧れ、フランスベッドだ。

これの導入により随分と眠りの質は上がったが、途中で目が覚めたりするのは変わらなかった。

 

寝不足については随分と改善したと思うが、

それでも例の眠気や焦りのようなものは取れなかった。

 

こうなると認めざるを得なくなった

疲れているのは体ではなく、心だと。

 

自分を労って

なるべくゆっくりと過ごした。

 

もう派手に遊びたいとも思わない。

人付き合いも疲れてしまった。

 

海を眺め温泉に行って、

半額になった惣菜を買って家に帰る。

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これが私の回復のルーチンだ。

 

家に帰るときには晴れやかな気分になっているのだが

また朝目が覚めるときには憂鬱な気分になっている。

休日は調子のいい時と悪い時があって、調子の悪い時は大抵スマホをいじって1日が終わる。

 

そんな日々を数ヶ月繰り返した後、

私はもうどうしようもないと思い

いつもはごろごろと過ごす土曜日の午前、近所の心療内科クリニックに向かった。

 

「ご予約はありますか?」

「いえ、最短でいつになりますか」

「最短で一ヶ月後ですね」

せっかく勇気を出してきたのにやるせない気持ちになって、

もういいですと一言言ってクリニックを出てしまった。

 

小雨を避けて車に乗り込み、ハンドルにもたれかかりどうしようか考える。

 

どうしようか…

せっかく今の自分が行こうと思ったのだからその気持ちに応えてやりたい。

 

しかし田舎には選ぶほど心療内科専門のクリニックはない。

今、貴重な一件は潰してしまった。

 

結局、少し離れた街のネットには情報が出ていないような

クリニックに行ってみることにした。

 

先程の綺麗で今風なクリニックとは異なり、

お世辞にも新しいとは言えないビルの一室の心療内科だ。

 

戸を開けるとご年配のおばさまが一人窓口に腰掛けていた。

狭い待合室に人はおらず、ラジオからはクラシックが流れている。

 

「今日診てもらえますか」

「大丈夫ですよ、どうぞ…」

隣町のクリニックは1ヶ月待ちなのに、こうも違うものなのだなと少し心配になる。

待ち時間も無くすっと通してもらい、白衣を着ずポロシャツを着た老人のドクターとご対面する。歳は70代くらいだろうか。

机の上には紙のカルテと分厚い本がいくつか積まれているのみである。

 

「今日はどうされましたか」

私は眠れないこと、日中の眠気や焦りのようなものがある事を伝えた。

「仕事はストレスですか」

「人は良く、忙しくプレッシャーもありますが不満はないです。だから自分の気持ちとは別に体の不調があることが不思議なんです。」

 

うーんと考え先生は続けて問いかけてくる

「では私生活はどうですか、家族の仲など不安なことが?」

「そういえば、昨年大きな病気をしました。がんです」

「がんですか、治ったのですか?」

「経過観察中であります」

「ではそのことがストレスではないのでしょうか」

「それは確かにあるかと思います」

こうして短いやり取りの後、

我々はストレスの原因がなんであるかの一応の結論に至った。

 

あれから数ヶ月が経った。

先生のところには1ヶ月に1度伺うが、

「調子はどう」「いいですよ」といったやり取り以外は世間話をしているだけだ。

 

短い診察を終えると先生はいくつかオススメの薬を処方してくれる。

アルプラゾラムブロチゾラムリボトリール…薬のことはよくわからない。

抗うつ薬睡眠導入剤抗不安薬と言われるものらしく、

確かに服用すると寝付きは良くなり焦るような気持ちもなくなる。

 

これらの処方があるということは、

多分、自分には不眠症心身症か何か病名はついているのだろう。

 

でも、私は先生の口から病名を聞いていない。

聞いてしまうと自分は心を病んでいるのだと認めざるを得なくなって、

余計その通りになってしまう気がするからだ。

 

死にたいと言うような気持ちが浮かぶわけでもないし、

仕事が嫌で体が動かなくなるわけでもない。

 

周りの人からも普通に仕事をもらえるということは

まぁそれなりには振る舞えているのだろう。

だから、服薬を続けながらも暫くは今の生活を続けるつもりだ。

 

自分は癌を乗り越えて、現場に戻った。

見かけは普通の人に戻り、痛みに耐えば人並みに走ったりもできる。

 

今も治療を受けている人やサバイバーの希望になろうとした。

自分を支えてくれた人々に明るく能天気に「余裕だぜ」と格好を付けようと振る舞ってきた。

 

正直にいうとあっと泣き出してしまいたい時がある。どうしようもなくて逃げ出したい時がある。

 

もう元の自分には戻れない。

周知の事実ではあるが、がんに完治はない。

寛解≒完治ではあり「がんは治る病気だ」というのは私も同感ではあるが、

5年経っても10年経っても再発の不安は消えない。

 

咽頭がんステージ4の5年生存率が40−50%だというのも全くいつのデータで自分にどれほど当てはまるかというのはわかってはいるが…

しかし私にとってはデータが全てなのだ。

 

「5年後、10年後の自分を青写真でいいからイメージし行動しろ」

学生の頃そう言われて私はそのように行動してきたつもりだ。

 

仕事のために進学し、手に職をつけて大きな会社に入った。

人に恵まれたし、仕事もプライベートも良いように進んできた。

 

でも、がんになって未来が全くイメージ出来なくなった。

良いイメージも悪いイメージもない。

何もないんだ。

 

考えることといえばなんとか今日の晩御飯くらいで、明日の献立もない。

 

先のスケジュールといえば連日昼夜問わず入れられる仕事のシフトと、がんのフォローアップの定期検診の予定くらいだ。

 

正直にいうと

ただ今をそれなりに楽しく生きていければいいという、そんな怠慢な気持ちしかない。

 

キャリアアップを目指し難関資格を取得すべく

プライベートの時間を削ったところで

「再発です」と言われたら終わりだ。再発すれば根治はない。

 

たまに気の合う人がいて

何度か食事をしても

結婚だとかそういうイメージが持てず次のステップに進めない

自分から距離をとって終わってしまう。

 

今は何も考えず、

家でダラダラと映画を見てワインでも飲んで暮らしていたい。

たまに気が向けばチャリに乗って温泉にでもいこう。

 

今の自分がどこかおかしいことはわかっている。

あれほど情熱的だった自分は一体どこに行ったのか。

 

がんの治療中は点滴棒をつきながらもウォーキングしたり記事を書いたり意欲的に行動していたのに、今の私は与えられた仕事をこなすだけで1日が終わる。

 

映画ランボーをご存知だろうか。

当初の私の記憶では社会のルールに従わない流れ者が機関銃を乱射する派手なアクション映画の記憶だったのだが、大人何なり癌を経験して観るランボーはまるで違う悲しい作品だった。 

ベトナム戦争から帰還した兵士たちに自国民から浴びせられた罵声、

ベトナムの戦場では心の底からわかえりあえる友人たちがたくさんいたのに、

米国では誰も助けてくれない。戦場で最新兵器を使いこなして米国のために戦った勇敢な兵士も、祖国に戻ると駐車場の警備員にすらありつけない。

そして毎日悪夢として現れるギャンブル好きだった親友の無惨な爆死やラスベガスでスポーツカーを乗り回そうと交わした約束。

ランボーは子供のように感情を剥き出しにしてトラウトマンの胸の中で泣きじゃくり、ベトナム帰還兵たちの不遇を叫ぶ。ベトナム戦争が終わって7年経った現在でも続く戦士たちの心のトラウマと悲劇が語られる”

引用 ランボー(映画)のネタバレ解説・考察まとめ

 

私の場合は罵声を浴びせられるどころか、 知っている人には気を遣っていただき良くしてもらっているくらいだ。それでも自分だけ違う世界を見て帰ってきてしまって、すっかり世界から取り残されたような感覚がある。そして私も仲間を置いてきた。

あの頃は辛くとも毎日懸命に自分にできることは何かと考え精力的に生きようとしていたのに、今はただ与えられた仕事をこなし、遅くに帰ってきて冷や飯を食って寝るだけの退屈な毎日を過ごす。

 

上司からは「10年後をイメージして」なんて言われるが、私にとってそれがどれほど残酷な言葉だろうか。

 

しかし、悪いのは周りの人や環境ではない。

何もかも人に話さない自分が悪い。

助けて欲しければ周りの人に自分の置かれている環境を伝えなければ当然始まらない。

転職当初、病気や怪我のことを打ち明けると周りの人々に気を使わせ、

同じだけの仕事を与えてもらいないのではないかと危惧した。

 

今となっては他の人つまりは「健常者」と同じだけの仕事を既に与えられている。

このタイミングであれば自分の病気を暴露したところでマイナスにはならないだろう。

既に与えられるだけの仕事は出来ることを証明できたのから。

これからはどこか良いタイミングがあれば信頼できる人には積極的に伝えていくつもりだ。

 

こんなデータがある

「総合的な思春期・若年成人(AYA)世代のがん対策のあり方に関する研究」

AYA世代がん患者家族向け冊子「AYA」より一部改変して引用

 

“がんを経験していないAYA世代に聞きました

「身近に40歳未満のがん患者・経験者がいたら、あなたは?」

 

「体調の変化もあるだろうが、 がん患者が働きやすい(過ごしやすい) 環境を作ってあげたい」

→約60%

「自分に手伝えることがあるかがん患者から教えて欲しい」

→約50%

このように多くの健常者はがん患者(サバイバー)に関して、何か手助けをしたいと考えてくれていることがわかった。

 

逆に、

「がん患者と一緒に働くことで周囲の負担が増えるのは困る」

「がん患者には責任のある仕事(役割)を 任せられない」

はそれぞれ約10%ほどで、

上記に比べてごくわずかな意見でしかないことがわかった”

 

データから察するには、周りに病気のことを伝えてしまった方が自分も周りも良いようだ。自分から伝えていくことで自分一人で抱え込まずに済むようになるし、環境もよくなるかもしれないな。

 

私も少しずつ伝えていかないといけない。

弱い自分を見せて、それがまたポジティブな方に働くことがあるだろうから。

 

先のAYA研の冊子はとてもよかったので

がん患者、サバイバー、周りの人問わず是非一読していただきればと思います。

公式サイトからDLして無料で読めますよ。

 

 

私も活動に参加したいと思い、

入会の申し込みまでしてしまいました。

自分に出来ることがあるうちは、最後まで働くつもりです。

 

それでは今日はこの辺で。

 

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たばこのやめ方

 

 

 

がん治療をきっかけに、タバコをやめて1年と半年が経つ。

今回は禁煙するに至ったストーリーと、自分なりの工夫を記そうと思う。

 

癌がわかる前、私は1日10本ほどタバコを吸っていた。

 

癌がわかったその日、

少しでも命を大切にせねばと禁煙を決意しiQOSを病院のゴミ箱に捨てたが、

その帰り道に紙巻きタバコを買っていた。

 

「癌なんてどうすりゃええねん‼︎」

「とりあえず一服…」ってなもんだ。

 

冷静に考えてみると、タバコを吸いながら数年単位で育てた癌なのに、

数日禁煙したところで焼け石に水だ。

そんな言い訳を自分にしながら、

癌が見つかったという途方もないストレスを煙に巻いて出すしかなかった。

 

というわけで、癌がわかった後も暫くはタバコを吸っていた。

治療前の検査の段階では

「タバコはやめなきゃいけませんね〜」と優しく言っていた主治医の先生であるが、

 

治療の前日に

抗がん剤治療中にタバコを吸うと肺炎で死にます。だからタバコを吸うというのであれば私は診れません。診ません」と言われてしまった。

 

こうなれば私も年貢の納め時

やめますと答えるしかなかった。

 

その日の晩、地元の友人と電話で話しながら吸ったタバコが最後の一本になった。

「そっちも月がでとるんか」

遠く離れたところで同じ月を見ながら一緒にタバコを吸った。

タバコは私にたくさんのドラマを与えてくれた。

 

「これで最後や」

残りのタバコをへし折って、私は灰皿に捨てた。

 

 

通院で抗がん剤治療が始まった、

今日からタバコを吸うと死ぬらしい。

 

最初の治療は通院で行ったため、週一回の通院以外は普通に町で過ごしていた。

コンビニに行ってもスーパーに行ってもタバコが目に付く。

〝タバコが吸いたい〟

買ってやろうか?吸ってしまおうか?

何度も思ったが、先生の言葉を思い出しなんとかこらえる。

 

違法薬物に手を出して、何度も刑務所に送られるミュージシャンをバカじゃねえのかと思っていたが、

自分がこうなって気持ちがよくわかった。

生きるか死ぬかという状況になっても、私はタバコが吸いたかったのだから。

 

最初の1ヶ月は特に厳しかった。

なぜタバコが吸いたくなるのかと考えてみると、

自分の中に「タバコを吸いたくなるスイッチ」がたくさんある事に気づく。

 

例えば、

朝起きた=タバコを吸う

コーヒーを飲む=タバコを吸う

イライラした=タバコを吸う

こういった具合だ。

 

とにかくこれらのイコールを壊さねばならないと考えた。

朝起きた=歯磨きをする

コーヒーを紅茶に変える

イライラする=お菓子を食べる

 

自分の中のスイッチをどんどん変えて行った。

 

禁煙して3ヶ月も経つと

タバコを吸わなければ沢山のメリットがある事を実感し、吸いたいとも思わなくなった。

 

あれから1年以上経つ。

スイッチを入れ替えるという作業のおかげで、

私は仕事でストレスが溜まっても酒を飲んでもタバコなしで乗り越えられるようになった。

一瞬“タバコ”というモノがよぎることはあるが、

沢山の逃げ道を用意してあるから大丈夫だ。

 

逃げ道としては定番であるが

甘いものを利用している。

 

お菓子やケーキはもちろん、最近ハマっているのはコーラだ。

大戦中は軍需物資として米軍兵士に愛されていたようであるが、

自分も汗を流すようになってその美味さがわかった。

 

今はスカッとしたい気分の時は、

タバコに火をつけるのではなく

コカコーラの瓶を開ける。

大量の砂糖が入ったドリンクが健康的だとは自分も思ってはいないが、

タバコの代わりだと思えば何てことはないだろう。 

仕事中でも自販機に行けば買えるし飲めるのも有り難い。

 

しかし、甘いものを食べてもどうしてもどうしてもタバコが吸いたくなる時もある。

例えば喫煙者と酒を飲んだりしている時などだ。

いい気分の中、ぷかぷかとタバコをふかされるとこっちも吸いたくなる。

 

そんなとき「一本ちょうだい」と言いたくなるのはわかっている、

自分はそういう人間なのだ。

 

だからあらかじめ逃げ道を用意しておく。

 

私が常備しているのは

メンソール味の電子タバコ

「タバコじゃねーか‼︎」とお叱りの声も飛んできそうだが、出てくるのは味のついた水蒸気であり法的にはタバコではない。

(体に良いか悪いかは知らないが…)

 

1ヶ月のうち、片手で数えれるほどではあるが

気分によってこういった電子タバコをふしてみることもある。

 

タバコを吸っていたことろは

こう言った電子タバコは重みがなく全く吸いごたえがなかったが、

非喫煙者になるとこれでも結構いけるのである。

 

個人的にはファミリーマートで売っているこの使い捨て電子タバコの強メンソールがおすすめ。

スカッとするので吸いごたえがある。

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私の場合は短時間のうちにタバコをやめたが、

計画を立ててタバコをやめれるとしたらどうするだろうか。

自分の経験を元にプランを立ててみた。

 

まず前提として一番大切なのは「禁煙する意思」である。

私の場合は「吸ったら死ぬ」という気持ちがあったのでやめることができた。

 

 

禁煙しようという意思が本人になければ、

絶対に止めることはできないので気持ちよく吸わせておいた方がマシだ。

この記事を見て「アンタもタバコやめなさいよ」と見せつけるのはよして欲しい。

相手を不機嫌にして終わりだ。

タバコを止めるには結局は本人の意思しかない。

 

意思が固まったとして話を進めよう。

 

いきなりタバコを止めるのは難しいとして、

まずは節煙から始めてみよう。

 

単純に本数を減らしてみたり

長い時間吸える無添加タバコ(アメスピなど)にしたり、

タールの軽いタバコにだんだんシフトしていくと良いと思う。

 

その次は加熱式タバコに変えよう。

iQOSやプルーム・テックなど、コンビニでも多くの加熱式タバコが売られている。

最初は吸いなれないかも知れないが、これにシフトすることで〝火を付ける〟という習慣を一つ捨てられる。

 

 

暫くして加熱式タバコになれたら、中身を本物のタバコから茶葉のタバコに変えよう。

いきなり変えるとニコチン切れになるので、本数を調整していくのが良いと思う。

 実際自分は吸ったことがないが、同じiQOSでこれにシフトしていけば違和感は少ないと思う。

暫く続けてこれオンリーに移行できれば、知らないうちにタバコをやめれているというわけだ

(上記は法的にはタバコでない)

 

ニコチン断ちできればイライラも治るだろうし、

そのうち決心がつけば茶葉のタバコもやめれるだろう。

 

タバコを止めると代わりの〝依存するもの〟が必要になると思うので、

私のようにお菓子やジュースに依存するとよいと思う。

砂糖はニコチンのように依存性の高い物質で、ストレスを発散してくれる。

それは健康にあまり良くはないかも知れないが、タバコの害と比べればマシだろう。

 

20歳の僕にメッセージを送れるとする

「君は癌になるよ」

屁理屈な私は言い返すだろう

「そんなもの、吸っていても吸わなくてもほとんどの人がなるだろ。ストレスとタバコを天秤に…」

 

でもこういえばどうだろう

「君は24歳で癌になるよ。上咽頭がんでタバコは一つの引き金になるよ」

…いじっぱりな私もタバコを捨てて足で踏み躙るだろう。

 

 

〝中毒者〟だったからわかる

「でも、付き合いが」「だってストレスが」

禁煙に挫けた後タバコを吸ったあとで

そういう後付けの理由がいくらでも浮かんでくる、そう簡単にタバコはやめられない。

 

私は「タバコを止めると良いですよ」なんて面と向かって喫煙者には言わない。

そんな話をしても喫煙者に届かないのはわかっているから。

 

でも自分がやめてよかったと思ったから、

やめようという気持ちの人の手助けになれればいいなと思って記事にした。

 

もしタバコを吸っている人がいたら、禁煙にチャレンジしてみて欲しいな。

 

それではまた。

 

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