24歳でがんになった。~Return Match~

24歳にして突然の上咽頭癌ステージ4の宣告。その時私は〝がん患者〟になった。

秘密のこころ

私は社会人になって5年になる。

 

癌治療の終了後1年ほど経って転職したが、

同業のため入社したと同時にたくさんの後輩が出来た。

実務は元より、組織からは中堅層として後輩たちの指導に当たるような立場を求められた。

 

「いずれチームを率いていくんだぞ」

会社の人は部長クラスの数名以外、私の病気や休職のことを知らない。

 

直属の上司からはたくさんの仕事を与えられ、

それに答えようと毎日遅くまで勉強した。

最初の数ヶ月は、17時の業務終了後2、3時間は自分の学習の時間として職場で過ごした。

 

職場の人々の熱心な指導もあり、暫くで一通りの業務をこなせるようになった。

 

自分の疲れを自覚したのは転職し暫くのことだった。

 

人の名前が覚えられず、簡単な計算が出来ない。

まるで眠っているような毎日だ。

かと思うとドキドキとし出して止まらないような時もある。

 

何度も体に覚えさせたような〝仕事〟はできるのだがそれ以外のことができない。

例えれば、徹夜で夜中の高速道路を走っているような感覚だろうか。

ただ道に沿って走ることはできるのだが、それ以外のことができない。

 

なぜそのような状態になったのか

私は当初寝不足が一つの原因だと考えた。

寝不足に対応するためには、

単純に睡眠時間を伸ばすか眠りの質を上げる必要があるだろう。

 

20時まで職場にいることもあったが、なるべく23時には寝るようにした。

これで大体7時間は眠れる事になる。

 

睡眠の質を上げることに関しては、

長年連れ添った中古の折り畳みベッドを卒業し、まともなベッドを買った。

家具屋でバイトしていた時からの憧れ、フランスベッドだ。

これの導入により随分と眠りの質は上がったが、途中で目が覚めたりするのは変わらなかった。

 

寝不足については随分と改善したと思うが、

それでも例の眠気や焦りのようなものは取れなかった。

 

こうなると認めざるを得なくなった

疲れているのは体ではなく、心だと。

 

自分を労って

なるべくゆっくりと過ごした。

 

もう派手に遊びたいとも思わない。

人付き合いも疲れてしまった。

 

海を眺め温泉に行って、

半額になった惣菜を買って家に帰る。

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これが私の回復のルーチンだ。

 

家に帰るときには晴れやかな気分になっているのだが

また朝目が覚めるときには憂鬱な気分になっている。

休日は調子のいい時と悪い時があって、調子の悪い時は大抵スマホをいじって1日が終わる。

 

そんな日々を数ヶ月繰り返した後、

私はもうどうしようもないと思い

いつもはごろごろと過ごす土曜日の午前、近所の心療内科クリニックに向かった。

 

「ご予約はありますか?」

「いえ、最短でいつになりますか」

「最短で一ヶ月後ですね」

せっかく勇気を出してきたのにやるせない気持ちになって、

もういいですと一言言ってクリニックを出てしまった。

 

小雨を避けて車に乗り込み、ハンドルにもたれかかりどうしようか考える。

 

どうしようか…

せっかく今の自分が行こうと思ったのだからその気持ちに応えてやりたい。

 

しかし田舎には選ぶほど心療内科専門のクリニックはない。

今、貴重な一件は潰してしまった。

 

結局、少し離れた街のネットには情報が出ていないような

クリニックに行ってみることにした。

 

先程の綺麗で今風なクリニックとは異なり、

お世辞にも新しいとは言えないビルの一室の心療内科だ。

 

戸を開けるとご年配のおばさまが一人窓口に腰掛けていた。

狭い待合室に人はおらず、ラジオからはクラシックが流れている。

 

「今日診てもらえますか」

「大丈夫ですよ、どうぞ…」

隣町のクリニックは1ヶ月待ちなのに、こうも違うものなのだなと少し心配になる。

待ち時間も無くすっと通してもらい、白衣を着ずポロシャツを着た老人のドクターとご対面する。歳は70代くらいだろうか。

机の上には紙のカルテと分厚い本がいくつか積まれているのみである。

 

「今日はどうされましたか」

私は眠れないこと、日中の眠気や焦りのようなものがある事を伝えた。

「仕事はストレスですか」

「人は良く、忙しくプレッシャーもありますが不満はないです。だから自分の気持ちとは別に体の不調があることが不思議なんです。」

 

うーんと考え先生は続けて問いかけてくる

「では私生活はどうですか、家族の仲など不安なことが?」

「そういえば、昨年大きな病気をしました。がんです」

「がんですか、治ったのですか?」

「経過観察中であります」

「ではそのことがストレスではないのでしょうか」

「それは確かにあるかと思います」

こうして短いやり取りの後、

我々はストレスの原因がなんであるかの一応の結論に至った。

 

あれから数ヶ月が経った。

先生のところには1ヶ月に1度伺うが、

「調子はどう」「いいですよ」といったやり取り以外は世間話をしているだけだ。

 

短い診察を終えると先生はいくつかオススメの薬を処方してくれる。

アルプラゾラムブロチゾラムリボトリール…薬のことはよくわからない。

抗うつ薬睡眠導入剤抗不安薬と言われるものらしく、

確かに服用すると寝付きは良くなり焦るような気持ちもなくなる。

 

これらの処方があるということは、

多分、自分には不眠症心身症か何か病名はついているのだろう。

 

でも、私は先生の口から病名を聞いていない。

聞いてしまうと自分は心を病んでいるのだと認めざるを得なくなって、

余計その通りになってしまう気がするからだ。

 

死にたいと言うような気持ちが浮かぶわけでもないし、

仕事が嫌で体が動かなくなるわけでもない。

 

周りの人からも普通に仕事をもらえるということは

まぁそれなりには振る舞えているのだろう。

だから、服薬を続けながらも暫くは今の生活を続けるつもりだ。

 

自分は癌を乗り越えて、現場に戻った。

見かけは普通の人に戻り、痛みに耐えば人並みに走ったりもできる。

 

今も治療を受けている人やサバイバーの希望になろうとした。

自分を支えてくれた人々に明るく能天気に「余裕だぜ」と格好を付けようと振る舞ってきた。

 

正直にいうとあっと泣き出してしまいたい時がある。どうしようもなくて逃げ出したい時がある。

 

もう元の自分には戻れない。

周知の事実ではあるが、がんに完治はない。

寛解≒完治ではあり「がんは治る病気だ」というのは私も同感ではあるが、

5年経っても10年経っても再発の不安は消えない。

 

咽頭がんステージ4の5年生存率が40−50%だというのも全くいつのデータで自分にどれほど当てはまるかというのはわかってはいるが…

しかし私にとってはデータが全てなのだ。

 

「5年後、10年後の自分を青写真でいいからイメージし行動しろ」

学生の頃そう言われて私はそのように行動してきたつもりだ。

 

仕事のために進学し、手に職をつけて大きな会社に入った。

人に恵まれたし、仕事もプライベートも良いように進んできた。

 

でも、がんになって未来が全くイメージ出来なくなった。

良いイメージも悪いイメージもない。

何もないんだ。

 

考えることといえばなんとか今日の晩御飯くらいで、明日の献立もない。

 

先のスケジュールといえば連日昼夜問わず入れられる仕事のシフトと、がんのフォローアップの定期検診の予定くらいだ。

 

正直にいうと

ただ今をそれなりに楽しく生きていければいいという、そんな怠慢な気持ちしかない。

 

キャリアアップを目指し難関資格を取得すべく

プライベートの時間を削ったところで

「再発です」と言われたら終わりだ。再発すれば根治はない。

 

たまに気の合う人がいて

何度か食事をしても

結婚だとかそういうイメージが持てず次のステップに進めない

自分から距離をとって終わってしまう。

 

今は何も考えず、

家でダラダラと映画を見てワインでも飲んで暮らしていたい。

たまに気が向けばチャリに乗って温泉にでもいこう。

 

今の自分がどこかおかしいことはわかっている。

あれほど情熱的だった自分は一体どこに行ったのか。

 

がんの治療中は点滴棒をつきながらもウォーキングしたり記事を書いたり意欲的に行動していたのに、今の私は与えられた仕事をこなすだけで1日が終わる。

 

映画ランボーをご存知だろうか。

当初の私の記憶では社会のルールに従わない流れ者が機関銃を乱射する派手なアクション映画の記憶だったのだが、大人何なり癌を経験して観るランボーはまるで違う悲しい作品だった。 

ベトナム戦争から帰還した兵士たちに自国民から浴びせられた罵声、

ベトナムの戦場では心の底からわかえりあえる友人たちがたくさんいたのに、

米国では誰も助けてくれない。戦場で最新兵器を使いこなして米国のために戦った勇敢な兵士も、祖国に戻ると駐車場の警備員にすらありつけない。

そして毎日悪夢として現れるギャンブル好きだった親友の無惨な爆死やラスベガスでスポーツカーを乗り回そうと交わした約束。

ランボーは子供のように感情を剥き出しにしてトラウトマンの胸の中で泣きじゃくり、ベトナム帰還兵たちの不遇を叫ぶ。ベトナム戦争が終わって7年経った現在でも続く戦士たちの心のトラウマと悲劇が語られる”

引用 ランボー(映画)のネタバレ解説・考察まとめ

 

私の場合は罵声を浴びせられるどころか、 知っている人には気を遣っていただき良くしてもらっているくらいだ。それでも自分だけ違う世界を見て帰ってきてしまって、すっかり世界から取り残されたような感覚がある。そして私も仲間を置いてきた。

あの頃は辛くとも毎日懸命に自分にできることは何かと考え精力的に生きようとしていたのに、今はただ与えられた仕事をこなし、遅くに帰ってきて冷や飯を食って寝るだけの退屈な毎日を過ごす。

 

上司からは「10年後をイメージして」なんて言われるが、私にとってそれがどれほど残酷な言葉だろうか。

 

しかし、悪いのは周りの人や環境ではない。

何もかも人に話さない自分が悪い。

助けて欲しければ周りの人に自分の置かれている環境を伝えなければ当然始まらない。

転職当初、病気や怪我のことを打ち明けると周りの人々に気を使わせ、

同じだけの仕事を与えてもらいないのではないかと危惧した。

 

今となっては他の人つまりは「健常者」と同じだけの仕事を既に与えられている。

このタイミングであれば自分の病気を暴露したところでマイナスにはならないだろう。

既に与えられるだけの仕事は出来ることを証明できたのから。

これからはどこか良いタイミングがあれば信頼できる人には積極的に伝えていくつもりだ。

 

こんなデータがある

「総合的な思春期・若年成人(AYA)世代のがん対策のあり方に関する研究」

AYA世代がん患者家族向け冊子「AYA」より一部改変して引用

 

“がんを経験していないAYA世代に聞きました

「身近に40歳未満のがん患者・経験者がいたら、あなたは?」

 

「体調の変化もあるだろうが、 がん患者が働きやすい(過ごしやすい) 環境を作ってあげたい」

→約60%

「自分に手伝えることがあるかがん患者から教えて欲しい」

→約50%

このように多くの健常者はがん患者(サバイバー)に関して、何か手助けをしたいと考えてくれていることがわかった。

 

逆に、

「がん患者と一緒に働くことで周囲の負担が増えるのは困る」

「がん患者には責任のある仕事(役割)を 任せられない」

はそれぞれ約10%ほどで、

上記に比べてごくわずかな意見でしかないことがわかった”

 

データから察するには、周りに病気のことを伝えてしまった方が自分も周りも良いようだ。自分から伝えていくことで自分一人で抱え込まずに済むようになるし、環境もよくなるかもしれないな。

 

私も少しずつ伝えていかないといけない。

弱い自分を見せて、それがまたポジティブな方に働くことがあるだろうから。

 

先のAYA研の冊子はとてもよかったので

がん患者、サバイバー、周りの人問わず是非一読していただきればと思います。

公式サイトからDLして無料で読めますよ。

 

 

私も活動に参加したいと思い、

入会の申し込みまでしてしまいました。

自分に出来ることがあるうちは、最後まで働くつもりです。

 

それでは今日はこの辺で。

 

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