2019/10/31、関西を離れる最終日。
私は暫く離れる事になる寮の一室の掃除を朝から行なっていた。
私の住む寮は築50年近くになるらしく、かなりボロい。
高度経済成長期の公営団地をイメージし、それを50年放置してもらえればそれである。
初めて庶務に案内された時は「ALWAYS 三丁目の夕陽」のロケ現場かと思ったが、窓を開けても建設中の東京タワーは無く、目の前に見えるのは勤務先である病院だけであった。
その寮は〝6号棟〟と呼ばれていたが、周りに同じ作りの寮は無く、少なくとも1〜5棟は老朽化の為に解体されたようであった。
あるタイミングでその6号棟に私一人しか住んでいなった事があるが、庶務から「誰も入居者がいなくなったら解体します。」と聞かされたのでレジスタンスとして残ってやった。今年の台風は大きかったが、いっそ私ごと飛ばされた方が解体の手間も問題児の解雇の手間も省けて庶務は静々しただろう。
住めば都とは良く言ったもので、私はそこでの暮らしに概ね満足していた。
畳の部屋は夏は最高だったし、汚い便所にも味わいがあった。家賃月6万前後が相場と思われることこの町で、月1万円と言うのが何よりの魅力であった。
勤務先の敷地内にある寮だった為、同僚たちと良く集まって遊んだ。
「水曜日の定例会」と呼ばれるイベントがあって、毎週水曜日は夜中まで酒を飲んだ。
よっぽど大変な仕事なのかと思われるが、我々はただ集まって無意味な時間を有意義に過ごす事に全力を注いでいるだけであった。
いろんな思い出が詰まった部屋を掃除しながら、治療先の千葉に持っていく荷造りを始めたのだが、何を持って行ったら良いのかわからない。
とりあえず当分の着替えと通帳、PCやカメラと言った遊び道具を持った。
「日本百名山」と「ツーリングマップル」の本も忘れずに持っておいた。
実家から妹と母が掃除の手伝いに来てくれた。
正直、洗濯を畳む気力も無かったので多いに助かった。
「お昼はピザでも頼むか‼︎」珍しく私の奢りである。
私の故郷は田園風景の広がる田舎町であり、良く言えばとてものどか、悪く言えばただの田舎である。もちろんデリバリーのピザなんて洒落たものはない。コンビニもない。信号機もない。
「宅配来るの?めっちゃ町やん‼︎」そうだ妹よ。兄貴は町にいるんだ。
そして田舎者三人でピザを食べた。
いつもと変わらずドミノピザは美味かった。
昼過ぎ、妹と母に車で送ってもらい私は新神戸駅に降り立った。
耳が隠れるほどのミディアムヘアに、首からカメラ。キャリーケースを転がし平日の昼間にホームにいる私は、どう見ても東京に旅行に行く浮かれポンチである。
まさかステージⅣと宣告されて、がん治療に行くとは誰も思わまい。
いつもより自分に優しく、指定席を取ってやった。
新幹線は私の気持ちがどうあるかは関係なしに町から町へと走り抜けていく。
だんだんと馴染みの無い地名がアナウンスから聞こえてくるが、その度にそう言えばあいつはこの町にいるなぁ、この町といえばあいつもいるぞ…と、意外とあちこちに友人がいる事を嬉しく思った。
何度か喫煙所と席を往復していると、あっという間に東京についてしまった。
東京に降り立ち再生するのはこの曲しかあるまい。
人混みの中で迷子になっても、この曲を聞いていれば許される気がするからだ。
東京駅から東京タワーの近くの駅まで電車で移動して、こっちで仕事している父と合流した。スーツ姿の父は新鮮で、一瞬少しは仕事が出来そうに見えるかと思われたが、先週ぬけたと言う前歯のおかげで台無しだった。本人はそのままでいいと言うので、銀歯でもいいから詰めた方がいいですよと助言しておいた。何故いらないと思ったのだ。
父は良くいくと言う高級そうな焼肉屋に連れて行ってくれた。
普段、地球の裏側から来た鶏肉ばかり食べていたのでとても美味しかった。
その夜は父の住む部屋を間借りした。
明日は朝から千葉のがん専門病院に行かねばならないので、その日は早めに寝る事にした。
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