24歳でがんになった。~Return Match~

24歳にして突然の上咽頭癌ステージ4の宣告。その時私は〝がん患者〟になった。

味覚障害こそバイキングへ

今回の記事は過去に書きかけた記事です。

現在私の味覚は戻っており、味覚障害はありません。

過去のお話ですので普段読んでいただいている読者様には違和感を覚える書き方もあるかと思いますが、ご了承ください。

 

また、当時の味覚は0.5割ほどで、

出汁の味がかろうじて風味としてわかったので味噌汁や茶碗蒸しが好物に。

ポカリを塩っこく感じるし、カレーや胡椒などの香辛料は何故かものすごく反応して汗をかいてしまうというような状況でした。

そのような味覚の状況で今回の記事は書かれた物です。

 

治療が終わって退院した日の翌日、世話になった両親に何かご馳走してあげようと思い近所のレストランのバイキングに行く事を提案した。

 

父母の食事の好みは両極端なのだが、バイキングなら色々な物がある。

私は放射線治療が終わった直後で味がほぼわからず、外食などしたい気分では無かったがバイキングなら何かしら食べられるだろうと思ったのもあった。

 

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その時の味覚は体感では0.5割、

同じように味覚障害を持つ人ならばわかっていただけると思うが、味がしないとあまり物を食べたくない、食事の時間もただ苦痛だ。

 

しかし、人間は何かしらの形で栄養を摂取しないと死んでしまう、それが自然の摂理だ。というわけでいくつか物をとってきた。

 

特に入院中に食べられなかった揚げ物や肉を選んでみた。

色々と食べてみれば〝あたり〟つまりは味がわかる物があるかもしれないと思ったからだ。

出汁の味は少しわかるので、いつも通り味噌汁はセットで。

 

久々の肉、ナイフで切り分け口へ運ぶ。

案の定味はせずゴムのようだ。

しっかりと噛み締め味を探る、光の届かぬ深海の中で、味覚という宝石を探しているようだ。そんな中、下味の胡椒の味が少し風味として感じられた。

その時、一つのアイデアが浮かんだ。

 

「もしや、わさびはわかるのでは…」

そのバイキングでは提供される肉に合わせいくつかの種類のソースも提供されており、

そのうちの一つにわさび醤油があったのだ。

 

ゴムのような肉を食い切って、おかわりをオーダーする。

客からも見えるところで若い兄さんが、手慣れた手つきで肉をさっと焼いて私に差し出してくれる。

 

ワサビ醤油をかけていただくと…

ワサビがピリリと染みた、風味がわかる‼︎

これだ、少しでも味がわかれば食べられる。その日はワサビ醤油のおかげで肉を何枚も食べられた。

 

病院の売店でも色々と試したが、一口かじってはこれじゃないと、完食出来ない物がたくさんあった。

バイキングならば2口3口少しずつ色々な物を試せたのでとてもおもしろかった。

 

味覚障害になってバイキングに行こうと思う人は少ないと思うが、

是非とも味覚の海を冒険し、運命の出会いをしてもらいたいと思う。

たくさんの物を食べれば何かしらの発見はあると思うから。

 

 

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